空手の師匠が来伊され、この1週間弱、空手漬けの日々であった。
大会が行われ、怒涛の1週間(弱)も幕を閉じた。
春は他流と古武道も含めた「翔舞の陣」。
毎回空手の稽古は私の脳と体力の限界だと思いつつ、徐々にその限界ラインを超えてきているが、今回ほど、体力以前に、記憶力のメモリー突破。ずっと眉間に皺を寄せたまま、ついていくだけで精一杯だった。
習った事を思い出しメモを取る。また注意された事も箇条書きにする。やっているつもりでも出来ていない、と言うのがほとんど。
指導していても同じことが言える。今言ったよね?昨日同じところ注意したよね?しかし、なぜ直らないか?理解していない?かやっているつもりでも不十分なのだ。だから、そこは毎回鏡を見てどこがダメなのか?またはビデオを撮って確認しないといけない。
ビデオを撮ったら自分でも情けなくて見られず。じゃあ撮った意味がない!苦笑
大会では、あまりにも緊張し、頭が真っ白になってしまうのだろう?型間違いをしたり、途中で止まってしまう人も結構いた。
待っている間、頭の中でシュミレーションをしていると、その時になっていきなり?あれっどうだったっけ?と言うところが直前になっていくつも出てくる。ただただ型は何十回、何百回、何千回と打ち込み体に染み込ませて行かないいけないと再確認。
ところで、今回は審判で初めて袴を着用した。退会した方に頂いたのだが、大会の前夜に脱ぎ着の練習をした。大会でも脱ぎ着が数回あり、慣れてしまえはどうってことなかったが、緊張でトイレに行きたくなったり、喉が渇いたりと落ち着きがなかった。
黒帯の型は、くじ引き。泣いても笑っても一度きり。
トーナメントは運にもよるが、その運が良かったようで初めて3位決定戦まで残ったが、入賞できず。初めの礼の際、空手は相手を倒すのではなく、自分に打ち克つものだと、空手道訓そのものを師範は仰られた。
また他流派の型を目にして、さまざまなことを感じたり、学んだりしたのではないかと思う。
昨年も参加された他流の女子高生は、佇まいからして女侍そのものであった。背筋は常にすっと伸び、常に一切わき目を振らない。試合中、彼女の真ん前で審判をすることが数度あったが、彼女の中に敵を見たような気がした。
あれは、皆見習わなくてはならない。
空手は自分との闘い。上達するためには、日々地道な稽古の積み重ねしかない。
優勝できなかった、カップをもらえなかったという結果に一喜一憂するのではなく、大会を通して得た学びを、これからの成長につなげていき、また道場の発展にもつながられれば良いと思う。
それにしても、疲れた~。
今日の一句
日々稽古 己に打ち克つ 空手道

