最上のわざ 〜 その7 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

最上のわざ

 

この世の最上の業は何?

楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうな時に希望し、  

従順に、平静に、おのれの十字架を担う――。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、

弱って、もはや人の為に役立たずとも、親切で柔和であること――。

 

老いの重荷は神の賜物。

古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために――。

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事――。

こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。 

神は最後にいちばん良い仕事を残してくださる。それは祈りだ――。 

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。 

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために――。 

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と――。

 

「人生の秋」 ヘルマン・ホルベルス著 春秋社

 

また大切な方が天に帰られた。私の代母。シスター・マリア。霊的な母であった。90歳。

 

先月転倒され、大腿骨骨折。あれよあれよと弱っていかれた。最後にお会いした時、「(ご自分は)どうなるのですか?」と日本語で言われた。聖職者であっても不安は不安であったと思う。

 

人間だれしも、「生」があれば「死」があるわけで、その終わりがいつ来るかはわからない。

 

>老いの重荷は神の賜物。

>おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事――。

 

いつからかご自分の命は毎日一滴ずつ落ちていくのだと言っておられたのを思い出す。命の雫だ。

 

試練や身近な人の死によって心にぽかりと穴が開くことがある。その開いた穴を覗くことで、その時まで気づかなかった他人の愛や優しさに、気づくこともあると父の死を通じて知った。

 

 今日、イタリアは「春の初日」だ。

 

 

 

 

シスター・マリア、いろいろありがとうございました。シスターの笑顔、そしていつもcoraggio ! 勇気を出して!というその言葉に支えられて来ました。まだまだ語り尽くせない話が山ほどありました。いつか天国でお会いしましょう。

 

感謝と祈りのうちに。