ニーバーの祈り | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

ここ数年、親類、友人知人が続々と天に帰っている。
 
人は生まれたその時から死に向かうわけだし、その方々も、もちろん自分も年をとっていっているわけだから、早かれ遅かれ仕方ないないのだが、なんとも言えない気持ちになる。
 
ところで、アメリカの神学者であるラインホールド・ニーバーの「ニーバーの祈り」は有名だが、よく知られているのは前半で、実は続きもあるのだ。
 
神よ、変えられないものを受け容れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と その両者を見分ける英知をお与えてください。

一日一日を生き、
この時を常に喜びをもって受け容れ困難は平穏への道として受け容れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、
イエスがされたように、この罪深い世界をそのままに受け容れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされると信じています。
そして、この人生がささやかな幸福なものとなり、あなたのもとで永遠の幸福を得ることでしょう。
 
アーメン
 
アンチ・エージングというが「老い」は避けられない。むしろ自然なことだ。
 
70、80(いや50以上か?)シワもなく、体型も20代とまるっきり同じ、という方が不自然だ。私は二十代から体重こそ前後しつつもほとんど変わりなく、当時の服も着られるが、それでもラインは全く異なる。基本髪型も変わっていないが、髪の色や髪質も変わって来た。それも自然な事。
 
けれど、加齢とともに、筋肉はどんどん衰えるから、「動ける体」の方が大事なのでは?と思ってしまう。特に、大腿四頭筋の筋量や筋力は、外見よりもよっぽど若さのバロメーター。笑
 
とはいえ「老い」る前に病気や事故に遭ってしまうかもしれないし、自分から命を絶つことさえあるかもしれない。
 
人の死や病気に触れる度、どのように受け止め、老い行くための勇気を見つけるには、何が大切なのか。どのような心を培えばよいのか、考える。それは自分の番が来た時のシュミレーションにもなるし、人に寄り添う心の訓練にもなる。
 
やはりしっかりと自分自身に向き合い、自分を知ることが求められるのだろう。
 
老いの葛藤と苦悩を思うが、自分の人生を素直に受けいれられる謙虚さを持ちたいと思う。
 
そして「今」この瞬間を大切に生きること。それはいきなりできることではなく、毎日の積み重ねだ。
 
ふがいない自分を、あるがままに受け入れ、機嫌よく感謝を忘れずに生きること。忙しいからと言って、神との交わりをおろそかにしないようにしなくては!

今日の一句
日々重ね 己見つめる 豊かな心