Eccomi!私はまいります | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

静かに降る雨の中、ミラノから電車で1時間、ベルガモまで最愛の代母であったシスターの葬儀参列のため出かけて来た。
 
ミサの15分前に棺の蓋がされるので、それまでは故人に別れがつげられるというので、早めに到着し、挨拶させていただいた。
 
修道服を着、綺麗なロザリオが組んだ両手に結ばれていた。棺には、薄い白のベールのようなレースがかかっており、ご遺体の胸元に当たる部分に何か刺繍が施されていた。普段大きな眼鏡をかけておられたが、それはなく、しかし非常に穏やかな大変美しいお顔をされており、その時始めて涙が湧き出て来た。
 
入祭の曲は、大好きな"Eccomi"。これは「感謝と祈り」から構成されている詩編40編が歌詞になっている。

ECCOMI, ECCOMI!

SIGNORE IO VENGO. 

ECCOMI, ECCOMI! 

SI COMPIA IN ME LA TUA VOLONTÀ.

はい、まいります。私は神のみこころに行うためまいります。

 

それは、またルカの福音書にあるマリアの言葉、

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」を思い出す。

 

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神に聞き、神に従う。それはシスター・マリアの生き方そのままであった。

 

シスターとの思い出が走馬灯のように蘇って来た。

 

私は長男が幼稚園に入り始めた2002年からシスターの聖書の会に入会。その後、ミラノカトリック日本人会にも入り、ご縁があってカトリック信者になったわけだが、次男の出産前後も大きなおなかを抱えて勉強会に通い、生まれてからもスリングに入れて出かけたものだった。

 

生後2週間後の日本人ミサに次男を連れて行った時、彼を抱いたシスターは祭壇に向けて"abbiamo un bambino Gesù!"赤ん坊のイエスがいます!と叫ばれた。それは少し早いクリスマスミサでもあった。

 

横に並んで歩くと、イタリア人の高齢者に多いのだが、よく腕を組んで歩いたものだと思い出す。

 

シスターから学ぶことは、全て綺麗な言葉で心に染みた。ノートはもちろん、聖書にも書き込んでいたら、行間がびっちりになってしまい、聖書を買い直したものであった。そんな聖書も今やデジタル聖書で見がちだが、書き込みいっぱいの聖書は宝である。

 

ミサの終わりに、シスターの生涯が総長様より読み上げられその後日本人信者で「マリアさまのこころ」を歌った。

 

♪マリアさまの こころ それは あおぞら
わたしたちを つつむ ひろい あおぞら

 

ミサ後、参列者たちとの挨拶もままならぬ間、シスターが埋葬される墓地が近いと言うので、そちらに移動した。

 

すぐに棺と共に同行したシスターたちに追いついたが、皆80歳以上の高齢のシスターたちであった。

 

ベルガモの大きな墓地であったが、その中の修道院の御霊舎に安置された。

 

 

 
 
LOCULO ロクロと呼ばれる壁龕に棺ごと入れ、セメントで蓋をされた。のち、名前や生年月日と享年が刻まれた写真付き石版をもって完全に蓋をされるのだそうだ。もちろん、御霊舎内のロクロにも限りがあるので、近くに埋葬されるようであった。

 

 
 
マリアバンビーナ修道会の創立者である聖バルトロメア・カピタ二オ。聖バルトロメアが200年前にイタリアの地で女子に教育の場を与えたが、60数年前、シスターマリアは、また初誓願をする前に、愛知県の瀬戸市に聖カピタ二オ女子高等学校を創立するため来日された。15年間の在日中、英語と宗教を教えていらしたそうだ。
 

どんな小さなことでもいいから他者のために行動しようと日々心掛ける「愛の実践」。そういったことをシスターは聖書の会やミラノカトリック日本人会を通じて教えて下さった。

 

まだまだ思い出がよみがえってくる。シスターに教えていただいたことをかみしめて、日々歩んで行きたいと思う。

 

 

今日の一句

Come Maria 自分のフィアット 生きる恵み