ついに「灰の日曜日」及び四旬節に入った。
定時のミサに出かけると、普段見かけない綺麗な格好をした南米系?の人たちが教会前の広場に沢山いた。えっ洗礼式?そんなはずないよね...
中へ入ろうとすると入り口に、タガログ語でなんて書いてあるかわからなかったが、ミサがあったようだ。
フィリピン人か!
ミラノには、フィリピン人のカトリック共同体のためにミサをあげている教会がなんと8つもあるのだ。
もちろんわざわざタガログ語ミサには行かず、地元のパロッキアに通うフィリピン人も多い。そういう意味では、我がパロッキアは人種の坩堝であり(しかし、日本人は私1人。以前韓国人駐在員がいたが見かけなくなった。中国人ももちろんいない)フィリピン人は信者もいるが、シスターだけでも5、6人はいるのではないだろうか?また滅多に会わないが、フィリピン人の司祭が司祭館に居候しているようだ。
「今朝、タガログ語ミサがあったの?今後もうちでするの?」とフィリピン人シスターに聞いてみた。「灰の日だったから。フィリピンは典礼が特別なのよ」と言っていた。
ミラノでは、「回心して福音を信じなさい」と言って前年度の「枝の主日」に使われたオリーブの枝や葉を燃やして灰を頭上にかけられる。日本ではソテツを利用するようだが、「枝の主日」や「灰」の儀式にも参加したことはない。
フィリピンでは、ココナッツの枝、つまりその灰を額に受けるのだということだった。
余談だが、かれこれ10年以上前に、なぜ行ったのか?誰と行ったのか?記憶にないのだが、タグレ枢機卿がミラノに来られ、彼のミサに与ったことがある。しかし当然だが周りはフィリピン人ばかりであった!推定3万人のフィリピン人が集まったと言われている。
ちなみにタグレ枢機卿は、現在のパパ様が選出された2013年のコンクラーヴェでは、パパービレ(教皇選出可能)な枢機卿の1人であった。確か2番めか3番め当たりの方であったはず。1957年生まれ。当時は57歳であったが、現在も66歳、教皇候補にはまだまだお若い!
先日聖年のローマ巡礼へ出かけた際、現在も毎晩サン・ピエトロ広場で続いている枢機卿によるロザリオは、2番手(2日目)であった。あの順番も何か意味があるのだろうか。
全く言語が解せなかったが、タグレ枢機卿のミサは笑いに溢れているものだった。
話がずれたついでに...大東京司教区のアンドレア司教はフィリピンの神学校を出ており、タグレ枢機卿にお世話になった話は聞いていたが、先日の黙想会の指導者であったミラノ会の司祭もやはりフィリピンの神学校を出ており、当日タグレ枢機卿は神学校の院長でおられたそうだ。彼らのつながりにちょっと驚いた。
思い切り話がずれたが、灰を授かるための行列が出来、その間、詩篇51篇”Purificami o Signore”を歌った。これは「罪とゆるし」の歌である。
ダビデは、自分の心の中にある救いようのない罪深さを直視し苦しむが、そこからも神の力と哀れみを見出し、その結果、どのような罪でも、へりくだって神に近づくのなら、神に赦された者は、清く生まれ変わる希望をあたえてくれる。

