長男、25歳 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今月、日本から帰国した長男。
 
この夏は、通訳としてイタリア人のバレーボール及びサッカーの監督について少年バレーと少年サッカー育成のため日本各地を回っていた。サッカーの仕事は3年目。
 
と言えば聞こえはいいが、監督方のお世話もあり何かと気を使い、途中帰宅出来ても寝てばかりであった。
 
将来的には日本で仕事をしたいようだが、都内で一人暮らしをするには、お金も入り用で、少しお金を貯めてから戻りたいと言うこと。
 
まあいい加減、大人だし自分の行動に責任を持ち社会に役立つ人間になってくれれば良いと思う。
 
そんな彼も今日で25歳を迎えた。
 
出産前からの育児日誌もあるし、毎年ブログに書いているので、彼の出産時から育児の悩みや喜びも読み直すと手に取るように甦ってくる。
 
とはいえ、今でこそ、忘れてしまっているが、子育ての大変さはその時期、子供の年齢によって異なる。
 
イタリアでは、
“Bambini piccoli problemi piccoli, bambini grandi problemi grandi“. 

 

『小さな子供は小さな問題、大きな子供は大きな問題』 と言われる。

 

まさにそうなんだな。渦中にいると、親もいっぱいいっぱいになってしまい、悩みまくり、育児書を読み漁ったり、ハラハラドキドキであったが、我が家の子たちは、基本大きな病気をしたわけでもなく、友達にも恵まれていた。

 

それでも長男は、小さい頃から1番小児科にかかり、また好き嫌いも激しく、夜泣きもひどく、ミラノで1番始めに住んだアパートでは、夜中に泣く度、上の階の人に棒か何かで床(つまり我が家の寝室の天井)をドンドン突かれた。かと言って直接会っても何も私には言ってこない。私も、下手に出て申し訳ないと言って菓子折りでも持っていくか?喧嘩覚悟に棒はないでしょう?と訴えるべきだったか?とも思ったが、先に相手が引っ越してしまった。

 

学校も、いつも担任に「頭は悪くないと思うのですが、勉強をしない」と小中高、そして日本語の補習校でも言われ続けてきた。まあ勉強も面白い!と感じたり、興味を持たない限り、そうそうやりたくないものだ。(私もそうだった!)良くも悪くも、日本に住んでいたら、生きづらかったかもしれない。ある意味自由なイタリアで良かったと思っている。(だから私もここにいる!)

 

ところで、9月の初めに私がミラノに戻ってから、長男も戻ってきたが、その間夫は、日本、イタリア国内、ヨーロッパ内…とずっと出張続きで、その間に長女の彼の誕生日を迎え、年内はまた皆それぞれが慌ただしくなるので、長男の誕生日ということで集合をかけたが、家族のグループチャットに「食事会をします」と書いても無反応。誕生日とその翌日は長男は仕事が休みであったが、翌日は友人たちと食事だと言う。しかも自分主催のピッツァータ。

 

ではピッツア以外に何がいいか?どこがいいか?と言っても皆無反応。次男が「僕、西安(中華)がいい」と言うので、長男の意見なく予約をいれた。

 

現地集合。「長男に食べたいものオーダーしていいよ。」と言っても、なんでも良いと。彼は甲殻アレルギーがあるので、それを避け、夫が鳥の足とか豚の血の塊の料理など、ちょっとマニアックすぎる料理のオーダーで皆ドン引き。しかも、周りはガチャガチャうるさすぎ!

 

長女の彼は非常に穏やかな方ではあるが、なんでも薦めるものは躊躇せずチャレンジする。「こういうガチャガチャうるさすぎるところじゃ落ち着かないでしょ?」と声をかけると、「まあ食事は静かにゆっくり食べたい」とは言っていた。こんな家族で申し訳ない。苦笑

 

長女たちとは別れ、どうも食べた気がしないし、甘いものが食べたい!と私がいい、帰りがけにジェラテリアへ。夫は甘いものは食べないが、「ストラッチャテッラ(チョコチップの入ったミルク味)を一口食べたいから誰かオーダーしておいて!」と言って車を止めに行った。

 

私はいつも、どこへ行っても基本ピスタキオを好み、今回はビスケットの入ったキャラメル味をオーダー。次男はマンゴーをダブルで。残った長男は、「じゃあいいよ、僕がストラッチャテッラを頼むから…」といってあとは、それに合う味をお店の人に聞いていた。

 

長男は、決して優柔不断ではないが、あまりにも人の意見を聞きすぎたり、合わせたりするところがある。夫も長女、次男は勝手気ままなのにな…かくいう私もか?苦笑

 

結局、長男の誕生会とはいえ、周りが好き勝手に決めてしまうものであった。本人はどういう気持ちだったのか…。苦笑

 

元天使だった子供達。振り返ると、必死だったが楽しい子育てだった。それがすべて実りとなって今の彼らがいる。

 

そして、彼らとはよくぶつかった。長男は内に秘める分、時に爆発した。親子関係とは渦中にいると苦しいが、なんと面白いものなのだろうと思う。子供が、そして自分も生きる上で必要な自己表現、そして認め、認められる関係の中で、自分らしくなっていく。もちろん、様々な家庭環境の中でそう実現出来ないケースも多いかもしれない。

 

子供の環境を整え、巣立つ準備する親業もそろそろ卒業かもしれないが、親はいつまでも親であるのは変わらない。それは私と母との関係も同様。

 

あなたは弓である。

そしてあなたの子どもらは

生きた矢としてあなたの手から放たれる。

弓ひくあなたの手にこそ喜びあれと。by ジブラン

 

子育ては弓矢の様なもので、親は力一杯弦を引いて狙いを定めて射るが、放たれた矢の軌道は親は直せない。

 

親は、子育てに口、手、そしてお金も出すが、子供は子供なりににちゃんとやっていくのだから、飛びつつある矢をこっちに向けようとしたり、あっちに行ってくれなんて言えない。

 

弦をぐーっと引いて、照準を合わせるところまでは親の仕事。後は、見守るしかない。

 

そろそろかな。

 

今日の一句

一つの命 喜び・感謝 おめでとう