諺にみる子育て論 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

這えば立て、立てば歩めの親心。
幼児の成長を願う言葉だが、今じゃ立つ前から、○○式だ、×△式だと、詰め込み、金食い人生の始まり始まり・・・。

生まれる前には、五体満足を願いつつ、生まれてくれば、親の都合であれも、これもと人生のレールが引かれちゃう。これじゃあ鋳型にはまった生き方しかできないわあ。

そして、隣の芝は青い・・・他人様の物事は、すべてよく見えるものである。隣の家のご主人の方がエリートで、手取りもよさそうだし、ヴァカンスも素敵。子供もなんであんなに賢いし、いい子なのかしら・・・?!なんてね。笑 なんでも他人様を羨ましく思い、なぜうちは・・・と思ってしまう。決して、目に見える「善い」部分だけがすべてじゃないし、隠れた部分もあるかもしれないのに。そして、親は子供に対し、過度の期待をしてしまう。所詮、「蛙の子は蛙」なのになあ。瓜の蔓に茄子は生らぬ これまた、同様。

我が家の場合は、
一姫二太郎  一人目は女の子で、二人目は男の子のこと。それでも私はしばらく、娘は一人で、息子は二人ということだと勘違いしていた。苦笑
花より団子寝る子は育つ泣く子は育つ。放って置いたらいくらでも寝ている子供たち。また、息子たちは、癇が強かったんだか、よく泣いた。

朽木ははえるべからず
。やる気のない怠け者には教えようにも教えようがないんだな。いつになったらスイッチが入るんだか・・・まっ親から受け継いだ性格・性質は何らかの形で子供に現れるもので、血は争えないわけだ。

また、子供の躾には飴と鞭が必要だが、夫は飴しか与えない。怒 氏より育ち。人間を作るのは家柄よりも教育や環境が大切だ。といっても孟母三遷の教えといいつつも、そう簡単に住まいは変えられない。

ところで、イタリアでは、イタリア人は子供を蝶よ花よとかわいがる。まさに目の中に入れても痛くないほどだ。また、特に母親は、我が子のこととなると周囲が見えなくなる。まさに倚門の望。しかも、平気で自分の子供は、「ベッラ・ベッロ」だとか「ブラーヴァ・ヴラーヴォ」だと人前で自慢をする。あれは、親の欲目ね。過保護三昧、乳母日傘で育てられ、おんぶおばけになっちゃうわ。爆 かと思えば、学校を出ても就職もなし。30歳前後になっても親のすねをかじって暮らす若者も多い。

この夏休み前後、道端で会う人会う人、「Allora,子供たちの学校はどう?」と十中八九の人が聞いてくる。まっ私も正直に赤点でね・・・追試なのよ、というと、大抵の人が、何教科?マテリアルは何?と聞いてくる。そのほとんどの人が同じ境遇者同士の保護者なのだ。同じ状況を理解し、また「自分の家だけでない」という環境に安心できるからだろうか?同じ穴の狢ね。親としては、非常につらい心境だけれど、自分の子に苦しい試練をかして、その才能を試し、立派な人間に育てなければならない。獅子の子落とし

。一度は突き放して苦労させなければならない。若い時の苦労は買ってでもさせなくてはいけない。



私は、毎日遊んでいる子供たちに灸を吸えてやろうとするが、暖簾に腕押し言葉を尽くし檄を飛ばし、時に、発破をかけ、時に目くじら立てながら重箱の隅をつつき尻をたたいてにらみを利かせる

親の背中をみて育つ。本当に我が家の子供たちは、毎日の生活の中で、意識することなく、様々なことを私たちから吸収しているのだろうか?

とはいえ、親の心子知らず。また、親孝行をしようと思ったときに、すでに親はな

く、孝行したくてもできないことも多い。

風樹の嘆とならぬよう、親を切にしておかなくてならない。

五十にして天命を知るというが、迷いは深くなるばかり。私も喜怒哀楽激しいが、強い信念・信仰によって心の平安を得て、何事にも心を同様させないよう安心立命、努力せねば。

いまや人生80年時代。老いてはますます盛んになるべしだ。それにしても疲れた・・・。笑