独り言 〜 平和の誓い | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

1945年8月6日、広島に原爆が投下されて79年が経った。

 

昨年、G7が広島で開催され、核軍縮に関する初の首脳声明「広島ビジョン」が発表されたが、アメリカは核爆発を伴わない臨界前核実験を5月に行なっており、バイデン政権下で実施が確認された臨界前核実験としては3回目、1992年から核爆発を伴う核実験を一時停止しているものの、臨界前核実験については歴代政権が続けていて、5月で通算34回目と「核兵器なき世界」にはほど遠い。

 

また、子供代表の平和の誓いでは、ドキッとするメッセージが発信された。


>願うだけでは、平和はおとずれません。
色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。

 

一人一人が相手の話をよく聞くこと。
「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。


仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。
私たちにもできる平和への一歩です。

 

ところで、厚生労働省の調査では、広島と長崎に投下された原爆によって被爆した人たちの平均年齢が85.58歳となったことが、わかった。

 

そして、今年4月1日の時点で、被爆体験伝承者226人、家族伝承者38人が活動中とのこと。自らの体験を生々しい言葉で伝える。しかし、確実に被爆者なき時代が近づいてきている。

 

そう言う意味では、母にも何度か東京大空襲の時の話を聞いたことがある。

 

昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲では、B29約300機が江東地区へ超低空飛行で飛来し、約2時間半の爆撃で8万人におよぶ犠牲者を出した。母が3歳の時、母が生まれ育った品川でも大きな被害を受けたそうだが、台所に爆弾が落ち、おんぶされながら防空壕に逃げた記憶があると言う。

 

そう思うと、東京大空襲や広島・長崎の空爆の被害も一歩間違えれば、父や母だった可能性だってなきにしもあらずだったわけだ。

 

また、空手仲間のF爺も1938年生まれ。第二次世界大戦時、イタリアも空襲があり、意外に知られていないが、ミラノも大きな被害をうけており、彼にそんな話を聞いたことがある。

 

再び、上記式典でのこども代表の言葉が甦る。

 

>今もなお、世界では戦争が続いています。79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。本当にこのままでよいのでしょうか。

 

本当にこのままで良いのだろうか。

 

良いはずがない。

 

再び空手仲間の話だが、今も続くロシア・ウクライナ戦争でウクライナの孤児を預かっている友人がいる。初めは母子を受け入れたと言う。兄弟はミラノに2箇所、ドイツとバラバラ。父親が戦死し、葬儀のため帰国した母親は寒さのため亡くなったと言う。当時17歳だった少女は、現在20歳。お花屋さんで働き、友人が持つ別のアパートに住んでいるが、少ない収入から家賃を払おうとしていると最近聞いた。我が家の次男と同い年だ。そう思うと、他人事には思えない。

 

戦争がもたらすもの...もう一度考えてみよう。そして、パパ様が常に仰っているが、平和の敵は『戦争』だけではなく、『無関心』も敵だという事。

 

無関心さにあまりにも麻痺しすぎているのかもしれない。

 

今日の一句

語り出す あの日の記憶 被曝建物