夏の和菓子 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

年を重ねて来たからか?海外にいるからか?和菓子が好きになった。あんこものが好きだが、今はきな粉や黒蜜を使った和菓子が好き。

 

わらび餅、葛餅、葛切り...どれも似ていて非なるもの。

 

微妙な原料や作り方の違いで、風味や見た目が代わり、魅力がある。

 

今回わらび餅を作ってみた。

 

わらび餅は、平安時代の醍醐天皇が好んだと伝えられている。山菜のわらびの根から採取したデンプン「本わらび粉」を使用。ただ、本わらび粉は精製に手間ひまがかかり、高価な食材のため、じゃがいもやれんこんのデンプンで代用したわらび餅が一般的になっているのだそうだ。

 

 

 

 

プルンとした食感がいい。母が喉に詰まらさせたらどうしようか?と思ったが意外につるんと飲み込める。そこにきな粉と黒蜜たっぷり。この味は日本人にしかわからないだろう!

 

ところでわらび餅は透明ではないのか?と思って調べてみたら本来のわらび餅は、黒か茶色なんだそうで、江戸時代あたりから、蕨粉に葛粉を混ぜて蒸したものに、塩味のきな粉をかけたものがわらび餅と言われるようになったとか。現代のわらび餅も、葛粉を混ぜて作られているのがほとんどらしい。確かに、粒状の粉と顆粒のものがあり値段もかなり異なった。

 

また、タピオカでんぷんを使用した透明なわらび餅が92年に誕生。涼しげな見た目で大ヒットし、2000年には首都圏でも販売を開始したのだと言う。

 

余談だが、亡父は定年前まで、川崎の工場地帯に勤務していたが、お正月などによく川崎大師の住吉の九寿餅を買ってきてくれた。やはりきな粉と黒蜜をかけて食す流のだが、「葛」と「九寿」とでは字が違うことに気がついた。

 

川崎周辺が麦の産地だった江戸時代、天保の頃(1830~1844)。大師河原村の久兵衛は、納屋に蓄えていた小麦粉を風雨によって濡らしてしまい、やむなくこねて樽に移し、水に溶いて放っておきました。翌年、飢餓で食料に窮し、この樽を思い出し見てみると、底に沈殿している発酵した澱粉を発見、これを加工して蒸してあげたところ、餅のようなものができたのです。

さっそく、時の川崎大師山主、隆盛上人に試食していただくと、その淡白で風雅な味わいを賞し、久兵衛の「久」の字と、無病長寿を祈念した「寿」の一字を附して「久寿餅」と名付け、川崎大師名物として広めることを薦めたといわれています。

 

関東にはわらび餅の文化はなく、また関西と関東の「くず餅」の違いが原因で、すぐに関東では、わらび餅が受け入れられなかったそうだ。

 

関西が、葛粉を使った透明なくず餅にきな粉をかけて食べるのに対し、関東は、小麦粉で作った白い餅にきな粉と黒蜜をかけて食べるのが一般的。「きな粉だけじゃ餅は食べられない! 黒蜜もつけて欲しい!」との要望があり、現在の東日本(向け)商品が誕生したのだと言う。笑

 

イタリアにわらび餅粉は待っただろうか?黒蜜と一緒に買って持ち帰りたい。

 

今日の一句

年たけて又くふへしと思ひきや蕨もちゐも命成けり by  谷宗牧 (戦国時代の連歌師)

 

日本各地を旅して書いた『東国紀行』の中で、静岡県に立ち寄ってわらび餅を食べた際、詠んだ句。わらび餅に舌鼓を打った様子を歌にするとは、よほど美味で感動したのだろう。