癌の転移が発覚し、病と闘っている空手仲間のF爺。
彼の1番の恐怖は、病よりも孤独の恐怖なのではないか、と感じる。
土曜日の朝、稽古に出かける途中必ず彼から、自分も観に行く、と電話がかかって来ることが多かった。彼は道場から徒歩5分くらいのところに住んでいるが、今や杖(一時は歩行器)をついてゆっくりゆっくりやって来る。
先週の土曜日は今年度最後の稽古だったのでやってくるかと思っていたが来ず。どうしたのか気になっていたら電話がかかって来た。
見学に行くと余計に孤独を感じてしまうと言うのだ。
流石に稽古中は、彼には遠くから手を振ったり、話に行ったところで一言二言のみ。誰かが長話をしたら収集がつかなくなってしまう。流石に道場は神聖なところで、稽古に集中するところ。お互いが皆尊重し合わなければならない。いつも彼には、後から「ごめんね、稽古中だから。」と言うが、わかっていても相手にされない?と感じてしまうのか...。
先週土曜日は夏休み前、最後の稽古だったのに、というと残念がっていた。
ところで、今日いきなり決まり、F爺と食事に出かけて来た。チームF爺と言って、昨年は夏休みの当番表を作って、連絡を取り合いF爺を訪問していた仲間も帰国や個人的理由で1人減り、2人減り…今回は4人で食事。
私が今月半ば過ぎに帰国する、と言ったら、すこし顔が暗くなるのが分かった。
夏は皆ヴァカンスで店は閉まるわ、人は一気に減り、町は静かになるが、昨年はミラノに居残っていたが、コロナ後ミラノに残っている人も多いような気がする。
とはいえ、F爺は夏を非常に嫌がる。奥様と出会ったのが夏で、結婚記念日、奥様の誕生日、そして彼の誕生日(この夏86歳!)もあるが、彼女が亡くなったのは9月のはじめ。思い出がいっぱいある分、夏を超え、先に逝かれてしまった思い出が一気に蘇るのかもしれない。しかも今日も集まった、彼の台所でもある秘密の隠れ家であるお惣菜屋さんも8月は休み。
それでも、今回、9月には稽古に復帰したい、と明るい顔で話していた。医療の面から見た空手を指導していきたいと。一緒にいたGは肩を痛め、この夏はしばらく休養するとのことだった。若い頃ボクシングを習っていたこともあるが、間違った肩の使い方が、必要以上に肩の軟骨がすり減り、炎症を起こしているようで、前日検査したCTスキャンの画像も見せてくれた。
T子、シニアのためのクラスを作ってくれよ、とG。型だけの無理のないクラスを…。笑 もう、どこが痛い、どこが不調だという中高年。強い必要はない。健康体操的な加齢なる空手クラスも有りか。爆
と冗談はさておき、昨年「独生独死独去独来」(どくしょうどくしどっこどくらい)と言う言葉を知った。お釈迦様が示しているのだそうだ。
「独りで生まれ、独りで死んでいく。独りでこの世にやって来て、独りでこの世から去っていく。」
寂しい響きだが、これが私たち生きとし生ける者の命の真理なのかもしれない。人生において様々な人や物と連れ添ったとしても、この人生を生きる私達の命は、結局のところ、根本的には孤独なのだと仏様は教えて下さっているのだそうだ。
とはいえ、独りで生まれ、独りで死んでいくが、生きている間は独りでは生きられない。人と人とが支え合って生きているのだ。
孤独は、高齢者の敵である。
「カルカッタはあなたたちの周りにもあります。 愛に飢えた人は、あなたたちの国にもいるのです。」by マザー・テレサ
高齢者の孤立と孤独は先進国での社会的現象になっている。少しでも声掛けが広がる世の中となりますように。F爺にはなんとかWhatsAppの使い方を覚えてもらわらないと日本から連絡出来ない!
今日の一句
どう生きる? 恵み数えて 老い支度
