聖霊降臨祭 2024 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

聖霊降臨祭を迎えた。

 

復活祭前の四旬節は40日間。そしてその後の復活節は50日間。
それは、主の「復活」の意味を深め、聖霊降臨を味わうために必要な時間でもあるという。新約聖書の使徒言行録(2:1-4)によると、

 

「五旬祭の日が来て、かれらがみな一緒に集まっていると、突然、天から激しい風が吹いてくるような音が聞こえ、彼らが座っていた家にみち、火のような舌が現れ、分かれて、おのおのの上にとどまった。すると、彼らはみな、聖霊に満たされ、霊がいわせるままに、いろいろの国の言葉で話し始めた」とある。

 

これが、聖霊の派遣(聖霊降臨)と呼ばれ、教会活動の始まりとなり、特別に祝う。またこの出来事はキリストの復活から50日目で日曜日にあたることから、この日をペンテコステ(ギリシャ語で50の意)とも言うが、いろいろな国の言葉で話し始めたことから、イタリアでは"Festa della Gente"、" Festa del Popolo"ともに、「人民の祝日」という意味になる。

 

本日の福音はローマ典礼ではヨハネ15ː26-27,16ː12-15、アンブロジアーノ典礼ではヨハネ14ː15-20が朗読された。両方には、日本語で『助け主』と訳されている言葉があるが、イタリア語では語源がギリシャ語の「近くに呼ぶ。寄り添う」という意味の"Paraclito"という言葉が使われていた。

 

余談だが、ミサが始まった途端、椅子から落ちて頭を打った子供がおり、途中頭を冷やしに退席した。主任司祭のお説教の際、「人は辛い時、悲しい時、頭を打って痛い思いをした時、どうするか?」と頭を打ったその子供に声をかけた。すると自然に彼の母親の胸に頭を寄せ、母親も彼の肩を抱いた。

 

司祭は、Spirito Santo、聖霊とはそういうものだと子供たちにわかりやすく説明された。苦しい時、悲しい時、人を理解し、寄り添い、支える…それが聖霊なのだと。天の父にお願いをすれば、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、私たちと共にいて下さるのだ。

 

ところで、昨年はこの時期、骨折中でミサに参加できず。それでも「聖霊降臨祭」は、折り紙で百合の花を作り、奉納だけして、信徒に配ってもらったが、今回は主任司祭より、共同祈願と折り鶴を作って欲しいと頼まれた。

 

以前は、共同祈願といえば、イタリア語の祈りを各国の言葉に訳し、代表者が読んでいたが、今年は丸投げ!何でも良い。つまり自分で考えろ!と!!苦笑

 

私は以前のパパ様の言葉を引用した。

 

聖霊よ、来てください。調和そのものであるあなたが、私達を一致を築くものとして下さいますように。ご自身を与えられるあなたが、私たちに自分から抜け出し、一つの大きな家族となるために、互いに愛し、助け合う勇気を与えてくださいますように。アーメン。

 

 
奉納の折り鶴は、先週まで空手関係で忙しく、今週から作り始めたが、何せ作っている時間がほとんどない!大抵は、家と仕事場と道場への移動中に作った。半分以上が足と頭の部分を作っておらず、昨日は徹夜かと思っていたが、ゴスペルのレッスン後、何気に話したことで、手伝ってあげるよ!と声をかけてもらい、すいませーん!8人の仲間に手伝ってもらった。なので徹夜にならず、少し眠ることが出来た。持つべきものは友!感謝! 166羽奉納。ミサ後すべて信徒に配った。

 

 
 ミサは、スペイン語、タガログ語、スリランカ語で朗読され、聖歌はイタリア語とスペイン語と英語。共同祈願は、インド語、ポルトガル語、日本語、イタリア語で行われた。

 

 
来月から始まる夏のオラトリオのリーダーたちの紹介とダンスがあった。小学生の頃から知っている子たちが、今やリーダーとなって(しかも皆言うことを聞かない子たちばかりだった)感慨深いものがあった。