聖霊降臨祭を迎えた。
復活祭前の四旬節は40日間。そしてその後の復活節は50日間。
それは、主の「復活」の意味を深め、聖霊降臨を味わうために必要な時間でもあるという。新約聖書の使徒言行録(2:1-4)によると、
「五旬祭の日が来て、かれらがみな一緒に集まっていると、突然、天から激しい風が吹いてくるような音が聞こえ、彼らが座っていた家にみち、火のような舌が現れ、分かれて、おのおのの上にとどまった。すると、彼らはみな、聖霊に満たされ、霊がいわせるままに、いろいろの国の言葉で話し始めた」とある。
これが、聖霊の派遣(聖霊降臨)と呼ばれ、教会活動の始まりとなり、特別に祝う。またこの出来事はキリストの復活から50日目で日曜日にあたることから、この日をペンテコステ(ギリシャ語で50の意)とも言うが、いろいろな国の言葉で話し始めたことから、イタリアでは"Festa della Gente"、" Festa del Popolo"ともに、「人民の祝日」という意味になる。
本日の福音はローマ典礼ではヨハネ15ː26-27,16ː12-15、アンブロジアーノ典礼ではヨハネ14ː15-20が朗読された。両方には、日本語で『助け主』と訳されている言葉があるが、イタリア語では語源がギリシャ語の「近くに呼ぶ。寄り添う」という意味の"Paraclito"という言葉が使われていた。
余談だが、ミサが始まった途端、椅子から落ちて頭を打った子供がおり、途中頭を冷やしに退席した。主任司祭のお説教の際、「人は辛い時、悲しい時、頭を打って痛い思いをした時、どうするか?」と頭を打ったその子供に声をかけた。すると自然に彼の母親の胸に頭を寄せ、母親も彼の肩を抱いた。
司祭は、Spirito Santo、聖霊とはそういうものだと子供たちにわかりやすく説明された。苦しい時、悲しい時、人を理解し、寄り添い、支える…それが聖霊なのだと。天の父にお願いをすれば、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、私たちと共にいて下さるのだ。
ところで、昨年はこの時期、骨折中でミサに参加できず。それでも「聖霊降臨祭」は、折り紙で百合の花を作り、奉納だけして、信徒に配ってもらったが、今回は主任司祭より、共同祈願と折り鶴を作って欲しいと頼まれた。
以前は、共同祈願といえば、イタリア語の祈りを各国の言葉に訳し、代表者が読んでいたが、今年は丸投げ!何でも良い。つまり自分で考えろ!と!!苦笑
私は以前のパパ様の言葉を引用した。
聖霊よ、来てください。調和そのものであるあなたが、私達を一致を築くものとして下さいますように。ご自身を与えられるあなたが、私たちに自分から抜け出し、一つの大きな家族となるために、互いに愛し、助け合う勇気を与えてくださいますように。アーメン。
今日の一句
来てください! Spirito Santo 神の愛