今日は5月5日、こどもの日。
長女が家を出ても、3月3日には必ずお雛様を飾るけれど、5月5日は何もしない。
父は生前、弟の初節句の際の兜をミラノに持って帰れと言われていたのに、持って来ず処分してしまったことを今になって後悔する。父の長姉から贈ってもらった南部鉄の兜だったが、本来弟が自分の家に、息子に持つべきものを嫁方の親が買ってくれたからと言って拒否。だからと言って、私がもらい飛行機に乗るのに重量制限がある中、スーツケースの場所も取られてしまうし、どう考えても無理だったのだ。
今唯一、「こどもの日」として思い出せるのは、玄関のKieさんの描くカレンダー。笑
シッター先には毎年、この時期、鯉のぼりを窓際に飾り、友人が和紙でおってくれた兜を居間に飾っているが、ママさん、パパさんは目にも映っていないんだろうなあ。
シッター先の子供達の習い事に付き合い(水泳と英語教室)、また空手での指導を通じて感じるのは、子供さえその「教室」という枠に入れて仕舞えば、なんとかなると思うのか?そこでの我が子の努力や成長にあまり興味を持っていない親の多さに飽きれることが多い。
我が家の次男なんぞ、自分をみてくれてないと「ママは僕のことなんてどうでもいいんだ!」と泣いて直訴されたものだ。(かと言ってコントロールするように近くにいれば、うざいと言われ...。)
確かに放任と過干渉の間、というのは難しい。
けれど、親の無関心さに気づきつつ育つ子供の心(その時は気がつかなくても、いつか気づいたり、または具体的には気づかなくても感覚的にそれが記憶に焼きつくのではないだろうか?)を思うと、周りの誰かが、君のことみているよ、と何気に目や気(心)をかけてあげていたいと思ってしまう。
ところで、昨日偶然ママ友に誘われ、お茶をしていたら、どんどん懐かしい顔ぶれが集まり、ちっちゃかった子供たちが皆高校生になっており、何かとたいへ~ん!と聞かされた。そういう時代もあったな…と思い出す。
自分の子供とて思い通りになるわけもなく、子育ては本当につらい。
生まれる時は、元気でいてくれれば十分、と思いつつ、生まれれば生まれたで、這えば立て、立てば歩めと目に見える、そして決して早すぎなくても、遅すぎではない成長を望みがち。
私は、子育ては100%完了したわけではないが、子供達が人生に立ち止まったり、転んでも自分で立ち上がることのできる力を養ってくれればいいと思う。決して勉強が出来ようが出来まいが、そんなことよりも、人に優しく、感謝できる子になってくれればありがたいと思う。そういう意味では、まだまだ甘ちゃんであるし、かくいう私も子供たちの模範にはなり切れていない。
今日は、かつて子供だったすべての人の祝日だ。
「私が願うのは」
私が願うのは
危険から護られるのではなく
危険のさなかで 恐れないことです
悲しみのどん底
心のはげしい痛みの中で
慰めてもらうことではなく
悲しみを克服し 勝利をうたうことなのです
逃げ場がなくなった時も
勇気を失わせないでください。
世間的にも大失敗し
挫折の連続に遭っている時も
その害が取り返しのつかないものだと
考えない恵みをいただきたいのです
あなたが来て私を救ってくださる・・・
これは私は願っていません
私が願うのは のりこえてゆく力です
あなたは私の荷を軽くしたり
慰めてくださらないで結構です
ただ 私が重荷を担う
その力をお与えください
喜びの日に
謙虚に頭を垂れ
私はあなたを思い あなたの存在を認めます
暗い悲しい夜
失意以外、何もない夜にも
ああ 決してあなたを 疑うことがありませんように
(タゴール『ギタンジャリ』より)
おたまじゃくしは 蛙の子 なまずのまごでは ありません それがなにより 証拠には やがて手が出る 足が出る (川柳じゃない!)爆