ミラノ中央駅 ビナリオ21番線 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

去る1月27日、ショアー(ユダヤ人大虐殺)の記念日であった。

 

1945年1月27日にソ連軍によってアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(以後「アウシュビッツ」と記述)が解放されるまで、ミラノ中央駅21番線フォームからユダヤ系イタリア人及びパルチザンや政治的反体制派が貨物列車に詰め込められアウシュビッツへ連れて行かれていたというが、そのホームが2013年に博物館となり、やっと見に行くことができた。(現在中央駅は2階に24番線まであるが、当時は地上階に貨物用線路(18-21番)が設置されていた。)

 

平日はもちろん、週末も予約がいっぱい。ガイド付き16-17時のツアーであったが、老若男女、約50名くらいのグループであっただろうか?

 

 

ところで、1943年7月ムッソリーニが失脚し、イタリアは9月に連合軍に無条件降伏する。しかし、これで戦争が終わったわけではなく、ミラノはその後20カ月もの間ナチスの支配下に置かれた。逃亡したムッソリーニはドイツ軍に救出され、ナチスの傀儡政権「イタリア社会共和国」をガルダ湖畔に建国。ナチスは連合軍に対抗する目的でイタリア国内の戦略的地点に司令部を設置。ミラノが占領されたのもこのためである。

 

そして、それまではその権利を制限するにとどめていたユダヤ人たちを、殺戮目的で強制収容所に送り始めたのが、この時期であった。

 

実際にミラノ中央駅から移送が行われたのは 43年から45年にかけて23回、アウシュビッツか、オーストリアのマータウゼン・グルセン強制収容所やドイツのフォソリやベルゲン・ベルゼンに移送された。

 

7日間、場所によっては9日間、飲み食いなし、トイレなしの長旅であったという。鮨詰め状況の車両の中で、ピドッキと呼ばれる頭虱が発生し、また泣き叫ぶ子供達で溢れていたという。

 

プラットフォームの地面には、列車の出発日と行き先が書かれていた。車内は木製で、鉄格子がサビているのが歴史を感じた。

 

  
 

 

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このようにユダヤ人がアウシュビッツに移送される光景は、映画「シンドラーズリスト」や「人生は素晴らしい」などの映画などで目にしたことがあったが、実際当時使われていた車両に入り、7日間かけ、水も食糧もなく、苦悩と不安を抱いたままポーランドへ移動した事を想像。阿鼻叫喚、地獄図と言うしかない。

 

とりわけ、1944年1月30日にミラノを出発した『捕虜たちの旅』が一番非人間的だったと言われている。

 

貨車には、ユダヤ人系のイタリア人605人が詰め込まれ、アウシュビッツに到着したその日に477人がガス室で殺され、残りの128人は強制収容所に送られた。このうち生き残ったのは、男性14人、女性8人。


そのうちの13歳であった Liliana Segre (リリアーナ・セグレさん)は1930年生まれで現在も生存しており、 終生上議院議員である。生きている限り、若い人たちに体験したことを語り継いでいきたいと言う。 

 

このプラットフォームは、実際、現在も中央駅構内にあり、地上階は電車も走っているので、到着時または出発時の走行音と、雨が降っていたため、ザーザーというよりも、ぽちゃんぽちゃんと雨垂れの音が音響効果となり、また地下の薄暗さも合い重なり、電車の中で話を聞き、なんとも言えない気持ちとなった。

 

またビナリオ21番線から出発した人たちの名前一覧が電子掲示板に上げられていた。そして生き残った人たちは赤い文字で記されていた。

 

 

1時間のツアーは実際は丸々1時間半を超えていた。

 

↑博物館近くの落書き。当時ユダヤ人は星の形のワッペンをつけなくてはいけなかったと言う。

 

翌日の今日、セグレ女史の生家に出かけて来た。

 

   「最後の晩餐」があるSanta Maria delle Grazie教会とは目と鼻の先という場所。
 
こちらは生家入り口の歩道に埋め込まれたセグレ女史の父アルベルトと祖父母のストルパーシュタイン(躓きの石)。
 
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セグレ女史の母親は、彼女が1歳になる前に他界しているが、1899年生まれの父親アルベルトとは、1944年1月30日にミラノ中央駅のビナリオ21番線を出発。アウシュヴィッツ到着後すぐに父アルベルトと離ればなれにされて二度と会う事はなく、父は1944年4月27日に死亡。(殺害と刻まれている)また祖父母は、1944年5月18日に父方の祖父母がコモ県インヴェリーゴで逮捕され、その数週間後にアウシュビッツに送られ、1944年6月30日収容所で死亡している

 

やはり話を読むだけではなく、目で見て、実際話を聞くのとでは衝撃も大きく違った。

 

それにしても、なぜ人類は歴史から学ばない、いや学べないのだろう。

 

ただ、わかるのは、 「歴史から学ぶことができるただ一つのことは、人間は歴史から何も学ばないということだ」byヘーゲル(ドイツの哲学者)

 

 

今日の一句

つまずき石 そこに生きてた 証を想う

 

 

ミラノ・ショアー記念館HP