今年は、道場ではイタリア人でも日本語で「空手道訓」が言えるよう指導している。
特に、イタリア人には意味もわからず覚えるのは、単なる呪文でしかないかもしれないが、意味がわかれば少しは理解度も変わる。また最近whatsapp のオーディオ機能で録音して送っているようだが、2019年の日記で「(一つ空手は)礼に始まり礼に終わる」を「礼ジ始マリ礼ジ終ワル」と言っていた人が、いまだに同じ事を言っていることに気づきはっとした。当時も録音して送付したのに....春には昇段する者である。ローマ字もつけているはずだが、空耳なのか💧
この空手道訓、「空手は...」というのを「自分は...」と置き換えてみる度、背筋が伸びるものである。
つまり、空手は、と言うよりも、武道は自分に厳しいものなのだ。けれど厳しくすると、空手が嫌いになる人も出て来ることだろう。特に子供は。でもだから習いに来てるんでしょ?と思う。(親の意志か?)
でもさー、何度も、毎回、数秒ごとに同じこと注意されてるようじゃ、武道じゃないでしょ?注意された事をちゃんと理解しようとする姿勢がなきゃ決して伸びることはなく、それがわからないうちは、次の段階に進む資格ってあるの?と思いつつ、自分も自分の未熟さを棚に上げているかも知れぬ?と思い、己を省みるわけだが、毎回口を酸っぱくし、流せず、堂々巡りで不機嫌でいる自分が嫌になる。
武道も多様性か?ダイバーシティ。お台場シティじゃないんだな。苦笑 (なぜ日本語で「多様性」と言わないんだ???苦笑)
学ぶ過程を大切にしなきゃ、根気も生まれない。どうしても自分にも厳しい分、他人にも厳しくなってしまう。
昇級、昇段はモチベーションにつながるだろうが、大切なのは「学ぶ姿勢」「学ぶ過程」。簡単に進めさせたくない、という気持ちで見てしまう。
注意されたら自問自答しようよ。
そして私も、もっと寛大になろう。苦笑
嗚呼、忍耐。
今日の一句
自問自答 三歩進んで 二歩下がる
(一歩進んで二歩下がってたら、前進出来ないんだな!)

