長女、27歳 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

昨日5月16日、長女が27歳を迎えた。なんと早いこと!
 
予定日が27年前の5月14日で、その日に検診があり、夜におしるし。父に病院に連れて行ってもらい、それから出産までが長かった。
 
忘れもしない月曜日。月九ドラマ「ロングバケーション」を見てから病院へ行ったのだった。笑 その後、陣痛が微弱になったが、予定日も過ぎたことだし、帰るに帰れず、病院内の階段を上り下りしたり、他人様の配膳を手伝ったり、落ち着きの無さは現在も健在。爆
 
出産の痛さというものは、すぐに忘れてしまう。だからこそ3人も産めたのだと思う。笑 とはいえ、初産での会陰切開はまだ当時医師になりたてのドクターがぐさっとやってくれて、産後大変だった。産後の検診で、「これ、誰がやったの?僕?」(はあ?!)ネットでそのドクターを検索したら、某病院の産科部長になっていた!出身大学での講師もしていた!この顔だ~‼
 
それにしても、夫は3人息子の長男。当時すでに夫の弟である次男の家に初孫であった男子が生まれていたが、やはり長男の子供はまず男児から!と期待されており、女児が生まれたら「なんだ女か!」と姑に言われたことは、忘れられない。
 
また、私は、実は泣く子も黙る「丙午」年生まれなのだが(!)、父は三男ではあったが、私は初孫。
 
日本における出生前診断は1960年代(たしか65、6年?)に羊水検査、1970年代に超音波診断、1990年代に絨毛検査、母体血清マーカーが普及したわけで、当時私の性別は出産までわかっていたのかどうか?
 
いずれにせよ母は姑、つまり父の母に堕胎するよう勧められたらしい。ったく二代に渡り喜ばれない女子とはとんでもない‼︎女性がこの世に誕生せずどうする!命や存在を否定された気がした。だからこそ、私達二人はやたら気が強いのかも?苦笑
 
思い返せば、私の来伊は27歳の時。考えてみれば現在の長女の年齢であった。
 
若かったなあ。
翌年体を壊し、日伊の病院を行ったり来たり。長女が生まれてからはひたすら走り続けてきたような気がする。
 
長女は子供は要らない。子供は好きではない、と言う。私も子供は好きではないと思っていた。しかし、気づくと常に乳幼児のボランティアやらオラトリオ、シッターの仕事に、空手でも子供の指導が多い。エネルギーを思い切り吸われるが、その分湧き上がる泉の様だ。笑
 
彼女はバイトをしながら、いまだに勉強をしている。小さい頃から、哲学的なことを独り言のようによく話し、文章にしていた。言いたいこと、書きたいことが常にいっぱいで日記も作文も常に強い意志にあふれていた。(その分、長男、次男は全くだが…)
 
学ぶ喜びは知識を得ることであるが、学びにより発見されるのは自分の無知。学びとは知識を得ることだけではなく、知識を得ることを通じ、自分を知ることに通じるように思われる。
 
今後も小さなことでも喜びを見出し、好きな事を思い切りやって欲しいと思う。