今日5月16日、長女が26歳になった。
妊娠する前の年、子宮頸がんの疑惑があり、ローマの病院に入院中にもすったんもんだがあったし、術後の処置にも問題があり、精神的に不安定になり、日本で出産をした。
大学病院だったので、立ち合いはなく、夫も出産後の帰国であった。
本来予定日は5月14日。
その当日、検診があり、その日の夜におしるしがあった。月曜日で、キムタクのドラマ「ロンバケ」を見てから父に送ってもらい病院へ入ったが、微弱陣痛。日時が変わり、一泊分加算されたものだ。
翌朝、「一度帰宅する?」とも聞かれたが、予定日を過ぎ、帰宅するのも面倒・・・結局、一日パジャマで病院内の階段を下りたり上ったり・・・そして勝手に配膳係を買って出たものであった。
当時の日記を読み返すと…。
『5月10日…食べても食べてもお腹がすく。思い切り栄養を吸い取られている気がする。
5月14日…予定日に検診。夜におしるし。陣痛開始。ローマの夫に電話をいれ、病院に向かう。
やっと16日の朝2時台に5ー6分台の陣痛が始まり、出産は11時47分。3480g。長かった。いきむ際、助産婦さんに赤ちゃんに酸素をあげて!といわれ、深呼吸した途端、ドクンドクンと強くなり始めた娘の心音は忘れらない。
パニックにならないよう、そしてこの子の為に落ち着いてと自分に言い聞かせた…』とある。
これは、ほかの二人のどの子の出産の時にもそう思ったことだ。私がパニックになれば、この子には酸素がいかなくなり、苦しくなる…それは、ある意味、普段の生活でも親の不安感が子供に伝わるのと同じことなのかもしれない。
また、今朝、たまたま「子育て四訓」というものを読んだ。非常に深い言葉だ。
1、乳児はしっかり肌を離すな
2、幼児は肌を離せ、手を離すな
3、少年は手を離せ、目を離すな
4、青年は目を離せ、心を離すな
子育て四訓は手放すことを教えてくれる。
しかし、小さい時は、全てを守られていた母体の中から生まれ出て、環境の大きな変化を体験する。生れ出た世の中はいいところだよ。自分は安全に守られているよ。…こういった基本的信頼感をはぐくむ大事な時期は、特に自立歩行もできなく、身体的にも未熟な存在なのだから、「抱き癖がつく」などとは言わず、しっかり肌をつけて守ってあげる必要があるのではないだろうか。
そして、乳児から青年になるまでに、肌を離し、手を離し、目を離し、最後は心だけが繋がっていく。
今現在、乳幼児に携わっているから、余計にその重要さを感じる。2歳でもまだまだ抱っこしてあげないと。
子供の誕生日は、母親の出産記念日でもある。親業26年記念。
頑張ったなあ、私。結局そこか!自画自賛。爆
