ミモザ 2023 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

父が亡くなり丸3年。
 
コロナマジックのせいか、早かったのか長かったのか感覚がわからない。帰国・葬儀以降、イタリアのロックダウンと母が具合が悪くなり、いつミラノに戻れるか予定も立たない時は、ただただ時間が止まったようで、憂鬱だった。
 
そして10ヶ月の時を経て、ミラノに戻ってきてしばらくして、現在のツインズ宅でのシッター業となり、そこからは慌ただしすぎてあっという間であった。
 
ところで、今日は何度、父のことを思い出しただろうか?これは母から聞いた話で、もちろん見たわけではなく、自分の頭の中で?(心の中で?)想像が事実のように焼き付いているのだが、父は亡くなる少し前、呼吸が荒くなりもがき苦しみ、宙を仰ぐように手を伸ばしていたという。それは単に苦しくなったしぐさだったのか、母を求めた動作だったのか、わからない。
 
父は、言葉の少ない人だったので、亡くなる前に母に感謝の気持ちを伝えることも多分なかったのではないかと思う。母は、やれることはすべてしたので悔いはないと言っていた。しかし、もしかしたら父自身、母に感謝の言葉を伝えられず、それだけが悔いとして残ったのではないだろうか。
 
また、最近、立て続けに人生の儚さについて考える。
 

人間は本来の生きる姿といえば、幸せを求めることだと思うが、不幸や不運な状態、そういった状況の中でも、いかに生きるか、どういう姿勢で生きるかによって人は変わるものだと思う。

 

とはいえ、人生には自分ではどうしようもないことが起きることがある。努力だけではどうしようもないこと、負いようのない責任といったような想像を超える出来事だ。それに世の中は不条理に満ちている。だから宗教が生まれるのかもしれないが、どんな失意、失望の中であっても、これまた「人生」と受け止め、自分に与えられた生を生きるべきであろう。

 

ある著書に「限りなく透明に凛として生きる」というタイトルがある。好きな言葉だ。

 

自分が与えられた場で、たまたま出会った人と心を交わしていく。そういうことが最高に意義のあること。善良精美は急ぎを禁ず。毎日丁寧に。その積み重ねが、人の人生を形成していく。

 

何事にもスピードや要領の良さが尊ばれる時代だが、忙しい時ほど ゆっくり丁寧に。

 

限りなく透明に凛として...生きたいものだ。

 

話は変わり、今日は「国際女性の日」。毎年女友達とアペリティ―ボやら食事会を行ってきたが、このコロナで中断。今回数年ぶりに復活!お誘いがあったが、なんと今日はショペロ!(ストライキ) よって食事会も中止。残念。
 
交通機関が動くかどうかはその時にならないとわからない。本数が少なくとも帰れるだろうと高を括っていたら、全くなく歩いて帰宅したことが今年の初めにあったので、やはりそれは避けたい。今日は自転車で出かけた。
 
ミラノの町中が芽吹き始めているのを目にした。また、町のあちこちでミモザが売られていた。
 
父の命日は「女性の日」。そしてミモザの日。思いに耽る一日だった。