ミラノ大司教司牧訪問 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

ミラノのマリオ・デルピー二大司教様による司牧訪問がミラノの中心地にあるS.Bartolomeo教会でおこなわれ、日本人共同体も招かれ参列してきた。

 

 

日本人共同体からは、奉納行列の際、平和の象徴として千羽鶴を奉納しましょう、ということになり、可能な人たちで折り鶴を折りためた。私は、仕事の行き帰りの公共機関の中で、また仕事の昼休みに折っていたのだが、あちこちでいろんな方に、「何を折っているの?」「何のため?」「いつ、どこで使われるの?」「一つもらえる?」などと質問責めされた。

 

折り鶴の窓口になり、ミサ当日前夜にちょうど千羽まとめ、またミサ直前に440羽持ち込みがありそれを一つにまとめた

 

 

今日、ミラノのアンブロジアーノ典礼は「王であるキリスト」を迎え、来週から一足早い待降節に突入する。クリスマスまでローマ典礼は4週間だが、アンブロジアーノ典礼は6週間。楽しいことはじっくり待つのがアンブロジアーノ典礼。

 

 

日伊ハーフのお子さん3人と共に折り鶴を奉納。
 
「千羽鶴は日本では、平和の象徴であり、多くの人が平和を祈り、折りました。」と伝えた。ちなみに「祈る」のイタリア語はPREGARE。「折る」はPIEGARE。日本語同士は漢字が似ているが、イタリア語同士は単語が似ているので間違えやすい。笑 私だけか?

 

 
 
お説教のポイントは、Speranza(希望) Fraternità (兄弟愛)  Vocazione(召命)であった。
 

ところで、第2バチカン公会議以前では、「召命」と言うと、司祭召命、修道召命(修道司祭、修道士、修道女)だけを指していると考えられていた。
 

けれど、公会議は、それに対して、全ての人に召命が与えられていることに光を当てた。全ての人は、神から命を与えられ、その人として生きる使命が与えられている。これを「召命」という言葉で表現している。従って、全ての人は「召命」を持っているということになる。

 
 司祭だけでもこんなに沢山!

 

 その後、司祭館で茶話会が行われた。2017年9月24日、大司教が着座され記念ミサがドウモで行われたが、その前に聖エウストロージオ教会で派遣の儀式がおこなわれ、教会前で大司教を待ち、日本人会の名で祝福のメッセージを書き、風船につけて飛ばし、その後ドウモにも追いかけて行ったんですよ!と話してみた。そうか!そうか!と笑顔で聞いてくださった。

また「今年、大司教様は、私のパロッキアに二度いらっしゃいましたよね?」と話すと、どのパロッキアかと聞かれたので、名前を言うと、あーあそこはもっと行ってるよ、と。確かにパンデミック前の夏休み中、オラトリオを訪問されたのであった。

 

 こちらは、奉納の記念として頂いたおメダイ。
 
ミラノのドウモのマドンニーナの御絵と裏は大司教の紋章、そしてラテン語でMarius Henricus Del Pini Archiepiscopus Mediolanensis(マリオ・エンリコ・デルピー二 ミラノ大司教)と刻まれていた。
 

 

 小さすぎてよく見えないが、このように刻まれているはず。

Plena est terra gloria eius

その栄光は全地に満つ。(イザヤ書6:3)

 
大司教は、私たち一人一人は人的資源と可能性に満ちているが、精神の賜物と共に明かりを灯されなければ、それは点灯しない。そのためには、祈りが必要なのだと語られた。

 

40羽の鶴を通した紐36本は全て希望者に差し上げた。祈りを込めた折り鶴と共に、喜びが満ちあふれた。

 

バルトロメオ教会の方々は非常に親切で、参列した日本人達に感謝を述べられたが、逆にこの機会を与えて頂いたことに感謝と賛美を捧げる。