先日3月8日、父が亡くなり満2年が経った。
昨年一周忌の法要をやはりオンラインでしたばかりだが、亡くなった日を最初の忌日として考えるので、翌々年の今年は三度目の忌日として数え、「三回忌」として法要が行われた。
本来年忌法要として、その年の命日に行うのが基本らしいが、遺族の都合を考慮し週末に調整された。参列は実家から母と弟、帰国中の長男。そしてミラノの私。お坊さんは昨年の一周忌もお願いした千葉県在住の友人の息子君。彼が幼稚園生の頃から知っている。時間調整は、結局時差があるし、大抵午前中に行われるのならば、こちらミラノは真夜中。もう何時になっても同じだと思い、弟に全て任せた。
10時からの法要。ということは、こちらミラノは午前2時から。2時まで起きているか?それとも早く寝て、目覚ましかけてその時間に起きるか?と思っていたが、前日の土曜日の午前中空手の稽古に出かけ、午後に帰宅し、昼食を取った途端に悪寒。そのまま布団に入ってしまい、数時間ごとに目が覚めたものの、2時になってしまった。オンラインに参加したら、声が出ない!顔も見られたくないし、すいません、顔なしで失礼します、と伝えた。
読経はわりに短く、助かった。笑 先週から仕事以外にずっと予定が立て込んでおり、しかも早朝か夜遅くか深夜...といった日が続き、さすがに体力に自信がある私でも、寝不足、過労に季節の変わり目、寒かったり暖かかったり...体がついていけなくなっていたのだろう。少し、ゆっくり寝た。
ところで、法要のあとは会食、という流れになるが、さすがにオンラインだとお坊さんもご一緒に...となることはない。逆に茶房を開いておられるので、コロナが落ち着いたら是非伺わせてください、と弟が話していた。
会食ははじめは、実家近所でする、という話であったそうだが、長男が現在アルバイトをしている青山のイタリアンレストランへ、せっかくだから...ということで出かけたそうだ。そこに出張中であった夫も合流。あとから画像が送られてきた。
実は、長男、気に入って働いていたレストラン。どうも理不尽なことがあって、年始に辞めることになってしまった。誰が何のため?イタリアにだってそういう人間関係はあるだろうが、日本の方が、人間関係において妬みや嫉妬は露骨なのかもしれない。はじめは、落ち込み、怒ったりもしていたが、考えても考えても理由がわからないし、同僚や本社の人にも励まされ、僕は自分に恥じるようなことはしていない。だから、最後まできちんと働くと言って、最終日を迎えた。しかもお世話になった人にお菓子まで持って行ったお人好し。苦笑
それなのに、その後どっと人が辞めたり、人出が足りなくなり、ヘルプの連絡が入ったという。そんなのやめなさいよ。人を人として見てくれない職場なら、行かなくていい!と言ったのだが、別の仕事も見つけていたにも関わらず、掛け持ちで楽しく行っているらしい。
本来、夫の帰国出張中、僕の働いているところを見て欲しい、と言っていたにも関わらず、一時は家にいたが、再びカムバックできたので、そこで父親と祖母、叔父を招待したそうだ。次から次へと同僚の方々(仲良しのイタリア人やはじめは文句を言っていたおばちゃん)が出てきては、挨拶され息子のように可愛いです、と言ってくれたというから、びっくりした。母曰く、接客がとてもあっているし、以前は人生甘く見ているところもあったが、社会に揉まれて、悩んで、成長してるよ、とのこと。ちょっとじわっときた。
若い時の苦労は買ってでもせよ、というが、まさにそうだ。若い頃の苦労は自分を鍛え、必ず成長に繋がる。苦労を経験せず楽に立ちまわれば、決して将来自分のためにはならないだろう。
長男の近況は、孫の成長として、父が一番喜んだことかもしれない。
病み上がりであるが、心はポカポカ。ただただ頑張って欲しいと長男にエールを送る!


