四旬節2022 〜 灰の日曜日 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 (イエスは御霊によって荒野に導かれた。マタイ4.1)

 

今日からミラノ司教区は、ローマ典礼よりも4日遅れて四旬節に入った。
 
「四旬節」とは、公生活に入る前のキリストが荒野で40日間の断食を行ったことを思い起こし、復活祭までの主日(日曜日)を除く40日間、悔悛し、祈り、断食や節制、施しや愛徳の実践を通して、キリストの復活の記念によりよい形で与る準備をする期間である。

「灰の日曜日」には、死と痛悔の象徴である灰を、頭や額に受ける「灰の式」が行われるが、ここでは、前年の「枝の主日」(復活祭直前の日曜日)に祝福されたオリーブの枝を燃やした灰が使用される。
 
先日、水曜日に灰を受けたが、今日も灰を受けることに...。

今朝のアンブロジアーノ典礼での朗読はマタイ4:1-11。「荒れ野での誘惑」の部分であった。

誘惑に立ち向かうには、それに立ち向かう「勇気」が必要。人間はいろいろな欲望を持っている。名誉欲、権力欲、金銭欲、所有欲など。人間が死ぬまで無くさないものは、食欲だけか?と思ったが、それに加え(私には関係ないが!笑)、名誉欲や性欲も加わるようだ。
 
今起きているウクライナ侵攻や戦争は、やはり権力欲や、所有欲、一部の金銭欲などが原因であろう。欲は時に、人の目と心を閉ざさせてしまう。『戦争はもう嫌だ』『戦争はすべて奪う』と口に出す勇気、平和への歩みを始める勇気が必要であろう。
 
今朝は、カテキズモ(公共要理)を学んでいる小学3年生の子供達が親子で参列。司祭が、「イエスは、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。そのあと、何がしたいだろうか?」と子供達に尋ねると「ピッツァが食べたいんじゃない?」と答える子がいて、思わず会衆は大笑い。お腹が空いたらピッツァか...さすが、イタリア人!と思ってしまった。

ところで、私たち人間は脆弱だが、時に誘惑や困難、恐れなどに直面させられる。しかし私たちは一人ではない。神のみ言葉は私たちに選択することを導き、誘惑者との対話を受け入れないようにさせる。主のみ言葉は私たちの足元を照らす灯火である。

ミサ閉祭後、回心のしるしとして灰を頭に受ける行列ができた。聖歌隊は一番はじめに灰を受け、聖歌”Purificami o Signore” (詩篇51篇)を歌った。これは、「罪とゆるし」の歌である。

 

 

Purificami o Signore.  Sarò più bianco della neve.
私を洗ってください。雪よりも白くなるように。

詩篇はダビデ王に書かれたもので150篇にまで及ぶ。彼は自分の悪事を認めて後悔する内容の詩が7つあるとされているが、特に51篇は、信仰を揺さぶる内容ではあるが、罪を悔い改めた人の心を慰めるために書かれたものだと言われている。

ダビデは、自分の心の中にある救いようのない罪深さを直視し苦しむが、そこからも神の力と哀れみを見出し、その結果、どのような罪でも、へりくだって神に近づくのなら、神に赦された者は、清く生まれ変わる希望をあたえてくれる。

今週、3日間に渡り、黙想会が行われる。仕事はあるが、波風立たない静かな心で過ごせれば、と思う。