昨日知り合いのマッテオが帰天されたと連絡が入った。考えてみればしばらく彼と彼の家族をパロッキア(地元の小教区教会)で見かけないなあと思っていたところだった。
彼は、先月24歳になったばかりの青年だった。出生時、どういう状態であったかわからないが仮死状態で出生し、重度の脳性麻痺などの後遺症麻痺により、歩くことも、話すこともできなかったが、母親が作った木製のキーボード配列を示した大きなボードを指差し、それでコミュニケーションを取っていたようだ。そして、それを母親がコンピューターで打つという共同作業によって、ブログも発信していた。
最近見かけない...と思っていたのは、確かにこのコロナ禍で時間の感覚もなくなり、パロッキアから離れた人、ミサ参列の可否の様子を見ている人もいまだ多くいるため、以前の雰囲気とは異なるのは確かだ。
パロッキアの友人に聞くと、2年前にQT8(クー・ティー・オット)と呼ばれるサンシーロ地域からさほど遠くはないが、緑が多く、道も広くミラノの街中とは全く雰囲気の違うゾーンに引っ越し、彼とその家族や仲間が立ち上げたアソシエーション("Associazione Nassigh per la Cura di chi Cura" )補助を受けている人のケア(?)Nassigh(マッテオの苗字。ナッスィーグ?どう発音するのか不明?)アソシエーションの活動で忙しくしていたようで、パロッキアも変えたのでは?という話であった。
実際アソシエーションは2017年に立ち上げられていたのだが、心身に障碍を持った子供やその家族をサポートする場として、大きな庭付きの一戸建てを建て、引っ越していたようだった。
彼は、身動きすることも、話すことも容易ではなかったが、両親の忍耐と愛情によって小学生の頃から表現する力を養ってきたという。高校卒業時に受ける国家試験である”Maturità"では最高得点を取得したそうで、たとえ病気を抱えていても、可能性を引き出せると言う考えをできるだけ多くの人々と共有し、成長と生きる眼差しの変化に寄り添えるようにと協会を立ち上げたのだと言う。ちなみにマッテオはその協会の会長であった。
下記の言葉は全てマッテオの言葉であり、協会のサイトや彼の隣人のサイトから引用したものである。(協会サイトに施設のビデオもある)
“La bellezza sta nella diversità, l’unicità ci rende liberi, non liberi di fare ma liberi di essere.”
美しさは多様性にあり、独自性は僕たちを自由にします。それは、することの自由ではなく在り方の自由です。
"Limite e libertà non sono in contrapposizione, sono solo due modi di essere che possono stare insieme perchè la libertà è poter essere se stessi in qualunque condizione e in qualunque corpo fisico"
限界と自由は逆のものではなく、自由はどんな状態であっても、どんな肉体であっても自分自身であり得るので、限界と自由は共に存在することのできる2つの方法に過ぎません。
”Tutti noi veniamo per una missione e, se la facciamo, stiamo bene con noi stessi e con gli altri, ma se non la facciamo non stiamo bene e ci sentiamo vuoti di senso. Trovare il senso del nostro essere è la cosa più importante che ci sia, se non lo troviamo siamo persone che non sanno vedere oltre il visibile. Invece, se lo troviamo siamo molto luminosi e viviamo molto bene, anche in condizioni faticose e in corpi faticosi. Il senso è il percorso da percorrere.”
僕たちは皆、使命のためにやって来ました。もしそれを実行するならば、自分自身にも他者にとっても良いことです。しかし、実行しなければ、それは良いことではなく、意味が空っぽになります。僕たちの存在の意味を見つけることは、非常に重要なことで、それが見つけられない場合、僕たちは目に見える以上に見る方法を知らない人々ということです。代わりに、僕たちがそれを見つけたら、たとえ心身共に疲れた状況であっても、僕たちは非常に光り輝き、よく生きることができるのです。意味は従う道という事です。
“Tutti noi dobbiamo lasciare un segno importante nel mondo, ciascuno nel suo modo e nel suo tempo, ma non si può vivere senza lasciare segni.”
僕たちは皆、世の中に重要なしるしを残さなければなりません。その人の方法で、その人のテンポ(時間の取り方)で。けれどしるしを残さず生きる事はできません。
“Perché io voglio che il mio pensiero vada in molti luoghi e in molti cuori perciò, se riuscite, cercate di portarlo lontano sulle strade che voi sceglierete.” Matteo Nassigh
僕は自分の考えを多くの場所や多くの人の心に届かせたいので、可能であれば、あなた方が選ぶ遠いところまで進めてみてください。
マッテオは光り輝き、よく生きた。そして彼なりの方法と時間を使いでしるしを残して逝った。
葬儀は明日、我がパロッキアで行われる。参列はできないが、祈りと共に彼と彼の家族に寄り添いたいと思う。