人間の成長 〜 (時に)天邪鬼のすすめ その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今始まったことではないが、もうすぐ17歳の次男は自分のやりたいことだけを主張し、やたら私のやることなすことにケチをつける。

 

長女、長男にも反抗期はあり、何かとぶつかられたが、次男の場合は、ただ単にワガママというか、私の反対のことだけを言っているのか?とさえ思ってしまう。

 

例えば、口を出すな、手を出すな、という割に、何もしてくれないといったり、何も買ってくれない、という割に、お金しか出さない、といい、私はよくも悪くも最低限のことしかしていないと思うが、これ以上どうしろというのか?とさえ思う。夫に関しては無反応。それもやたら腹が立つ。

 

とはいえ、以前は直球でぶつかられれば、いちいち怒って直球を投げ返していたが、私も忙しすぎて怒っている気力さえない。そして年をとった証拠だろうか?長男に愚痴ると、「仕方ないよ。時期だもん。」という。成長したものだなあ...苦笑。

 

そういうわけで、「天邪鬼」というタイトルで次男のことを書こうと思っていたが、念のために過去に書いていないか?と思い検索したら、やはりヒットしてしまった。笑 検索すれば、自分のブログに当たる...か。爆

 

それにしても、長女の頃からトータルで何年続いているんだ?子育てのこの割り切れない感情は!

 

しかし、私は書いていた。「きっと親を批判しつつ、親の意見と自分の意見の違いを自分で検証しつつ、改めて自分の中の価値観を構築しようとしているのだろうか?」と。

 

また、「腹は立っても、これは成長の過程、と思うことが大切だ。ある意味、思春期に扱いやすく、転んだことのない子供の方が、後が怖い。」そうだな...と反省。

 

また別のテーマでは『子供には「1つ叱って、3つ褒め、あとの6つは放っておけ」と昔から言われているが、私を含め今の親は子供を放っておけない。愛情という名の支配?のもとに、子供をスポイルしてしまう可能性も大きいように思える。親も親として成熟していないし、子供も成長していない状況では、家族はますます混乱する。』と書いていた。まさに!自分で書いて、自分で納得!

 

下記の文章は、以前、『心のともしび』サイトで読んでメモした内容だが、事あるごとに書いては、今では私自身も思う内容だ。

 

人間が人間としてまともに育つためにはやはり、家族として暮らす時の人間同士の心と心のぶつかり合いが必要だし、家族だからこそ与え合うことができる人間のぬくもり、愛。そして赦しがなくてはならない。(赦すのは甘い、と夫は言うが、家族が赦さなければ誰が赦すのか?誰が認めるのか?ということもあると思う)この経験を通してのみ、人間は成長する。

 

相手がぶつかってきたら、いちいち反応するのではなく、成長している証拠だ!と喜ぼう。