朝顔もそろそろ終わりに近づいて来ている。
朝早く開いて昼前にはしぼんでしまう朝顔は、儚さ、寂しさを象徴し、時には人の死を意識させる花としても、俳句に詠まれている。
朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ by日野草城
考えてみれば、桜は「散る」。椿は「落ちる」。梅は「こぼれる」…と言うなあと思い出した。
その他、調べてみたら。牡丹は「崩れる」、雪柳は「吹雪く」と言う。情緒豊かだ。
一般的に、花が終わる時「花が枯れる」「花が散る」という言葉を使う。しかしそれはあまりにもストレートすぎるし、花の一生を愛で、それぞれの花の終り方にふさわしい表現、またはその逆で、表現がその花にふさわしい終り方をしているような気がするのは、私だけだろうか?
ちなみに朝顔の「しぼむ」時間は、暑さの厳しい8月より、少し気温が低くなった現在、最大限10月くらいの方が遅い時間まで咲いてくれるようだ。
先日のミラノデザインウイークでは、日本人3人のアーチストのイベントで、一人の書道家の方が「百花繚乱」という字を書かれたが、色とりどりの様々な花が咲き乱れる様子はとても美しく華やかである。しかし、日本の文化においては「花が咲く」のと同時に「花の終わり」の美しさも珍重され、だからこそ、それを表す言葉も豊富に存在するのであろう。
花が咲き誇り、やがて枯れ行くというのは、盛者必衰、栄枯盛衰の理を表すものと言える。枯れてなくなるからこそ、花はなおのこと美しく、愛おしく思えるのだ。


