クオリティ・オブ・ライフ 〜 その3 時間に命を注ぐ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

ベルガモ郊外に住む日本人シスターのシスターパオラが、今月30日に91歳の誕生日を迎えられるので、お祝いがてら、施設を訪問して来た。
 
7月末に訪問した時は、嬉しさのあまり大泣きされてしまったが、今回は明るく笑顔で登場。
 
『「お元気そうですね」と言うと「お元気そう」じゃなくって「元気」なのよ』と言われた。
 
お土産におせんべいとチョコレートを持参。「うわあ、嬉しい!おせんべいが食べたくて仕方なかったの。ちょっと食べてもいいかしら?」といって早速袋を開けて食べ始められた。「そのチョコレートも開けてちょうだい。」といって、食べられた。「私はね、食べることと、寝ることだけはすごいのよ。」と言う。
 
「もう少ししたら、車椅子から歩行器に変わるからね。」と言われるので、?と思ったが、「...と自分で思っているの。」と希望的観測の自己判断。笑 そういえば、前回は、次に会うときは、走っているわよ、と言っておられたっけ。笑
 
それにしても、車椅子の生活でなかなか身動きも自由にできず、部屋にいることが多いのだそうだ。しかも、二人部屋ではあるが、「同室の方がね、すごいおばあちゃんでいつもニコニコしているけど、何も喋らないのよ!」というので、えっおばあちゃんなんですか?と聞くと、「あー私もおばあちゃんですけどね。」と言われる。笑 「でも75歳に間違えられるのよ。」と。爆
 
そして、「日本語は問題なく出てきますね。」と言ったら、「当たり前でしょう?日本人なんだから。日本で生まれて日本で育っているのよ!」とおっしゃる。私なんぞ、たまに日本語の単語や言い回しが出てこないことが多く困ってしまう。だからといって、イタリア語が堪能か?といえば、全く上達しない、という事実もあるが...
 
それにしても、相変わらず毒舌で「今日は何で来たの?」と聞かれたので「ミラノから電車に乗って、ベルガモからバスで来ましたよ。」と答えると、「じゃなくて、どういう理由で来たの?」と言われるので、「そりゃあシスターに会うためじゃないですか?もうすぐお誕生日ですよね?前回来たときに、お約束したんですよ。前回は大泣きされて驚きましたが、覚えておられますか?」と聞くと、「あー私ね。泣き上戸なの。嬉しいと直ぐに泣くのよ。悲しくて泣くことはないの。だって悲しいことなんてないから。」と言われた。
 
また何度も、「嬉しい!」「嬉しい!」と繰り返された。
 
「毎日ね、忙しいのよ。」「ここは自由。何をしてもいいのよ。」とも言われたが、思うように動けず、1日黙っておられることも多いのではないだろうか。片目も失明され、耳も聞こえづらいという。
 
ところで,ミラノの養老院は昨年秋に閉院し、病院の施設となってしまったが、そこに滞在していたシスターたちはベルガモにある3箇所の施設に移動させられ、てんでバラバラになったがたまたまシスターパオラが当時おられた階の看護師であったシスターたちもバラバラになっていたのだが、婦長であったシスターエリーザは偶然にもこの養老院に移動になっておられたのを私たちは知らなかった。
 
一緒にいった友人が受付に顔を出している際、エリーザは遠くからその様子を見ていたようで、追いかけてこられ、再会を果たした!なんとその彼女もすでに80歳を超えておられる。最後に会った2年前、私の前で一人のシスターが倒れるそうになったところを滑り込んで体で受け止めたすごいシスターである。年齢は数字ではないのだなあと思ったものだ。
 
私たちがシスターパオラを訪ねていると、いつもエリーザがやってきては、冗談を言って私たちを笑わせてくれた。また養老院を訪問中、誰も「神様」とか「信仰」について敢えて話すことはほとんどなかったが、常にすごい安心感を感じさせてくれる空気があった。
 
あなたの重ねた年齢を腸として受け入れその中に若さを注ぎましょう
時間にいのちをふきこめば、その時間が生きてきます。時間という容れものに何を詰め込むかによって、時間の質、ひいては人生の質が決まってくるのです。by日野原重明
 

命に年齢を加えるのではなく、今の年齢に命を注ぐ。命とは若さだ。

 

彼女たちに会うと、生きるということは、寿命という器を、精いっぱい生きている一瞬一瞬で満たしていくことなのではないか、と感じさせてくれる。

 

「今」という時間に若々しく命を注いで生きているならば、一瞬一瞬は輝いたものとなる。