這えば立て、立てば歩めの親心。
...とは言うものの...(親ではないが...)
先日シッター先の双子ちゃんが生後9ヶ月になり、先週の予測通り、弟の方がずり這いを始め、目が離せなくなった。
居間には作り付けの棚があり、棚の一番下の段から物を引っぱり出して、頭を突っ込んでいたり、暖房機に布を、そしてテーブルの足には頭をぶつけないようにプチプチのエアクッションを巻きつけていたが、それも思い切り剥がされてしまった。とにかく、毎日ずり這いの移動の距離が伸び、また棚の一番下の段に置いてあるものは全て移動させてもらったが、ママさんが無造作においている充電中の携帯電話やあとで捨てようとしてその辺においてある段ボールは全てひっくり返され、なんと今日は棚に捕まりいきなり膝をついて体を起こして、片足のかかとを立て、思わず立ち上がるような格好をしたから驚いてしまった!
かと思えば、お兄ちゃんは相変わらずスフィンクス状態。それでもやっとゆっくり肘をついて、向きを360度回転できるようにはなった。
一緒に生まれた双子でもこんなに成長の度合いは違うのだなあと思う。その子その子のリズムがあることを改めて知る。
食事とて同様。弟の方はなんでも喜んで食べるし、口元に持っていけば自動的に口を開けるが、兄の方は、新しい味や食感には抵抗を示し、嫌だと思うと絶対に口を開けない。特に母親が食べさせる食事やおやつには特に気難しい。親が神経質なのが伝わっているのだろうか?私があげると、そうでもないから、不思議なのだが、母親は仕事復帰に手間取っているようで、そういったストレスも子供達に伝わっているのかもしれない。
それにしても、子育ては何人いても決して同じ育ち方はしない。皆それぞれ違った個性があり、また可能性を持っている。大きくなり、集団生活に入り、成長するにつれ、「その子らしさ」がはっきりしてくるのかもしれない。
みんなちがって、みんないい
金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」の一節だ。
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
鳥のように空を飛ぶことができたらいいのに...。けれど、鳥にはないものを自分がもっていることに気がつくことだろう。
そして、すべての命は、あるがままで尊い存在であり、それぞれが命の輝きをもって生きている。常に誰かと比較するのではなく、「あなたがいて私がいる。あなたと私、どちらも大切」と考えるから「みんなちがって、みんないい」という言葉が生まれてくるのだろう。
子育ては、個育て。
だから面白いのかも。

