私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。 (by 金子みすゞ)
在ミラノ補習校の小6は卒業式のときに、上記の詩を朗読するらしい。
今、長男は3つのうちの1つである、この詩を暗誦中。
この詩を聞くたびに、「みんな違って、みんないい」とはわかりつつも、子供達が、やれ成績が悪い、やれ態度が悪いなどといわれようものなら、あ・・・・・
とどっときてしまう。
「出来ることと出来ないこと」・・・・出来る事を当たり前に考えるから、出来ないと劣っているようにとれてしまうのだろう。
でも逆に「出来ない事とできる事」・・・と考えれば、出来ることはとても素晴らしくなる。
「ママ、今日ラテン語6とったよ~」と自慢げにいう長女。「ふ~ん」で終わらせてしまうと、「なんで褒めてくれないの?ラテン語6って小学校の10くらいなんだよ」といわれると、「そうなの???すごいじゃん!!」となる。
褒める教育は、素晴らしさと可能性を引き出す逆説的教育なんだろうか。
「見えるものと見えないもの」も、「見えないものと見えるもの」と、考え方、見方をひっくり返すと、気づけることがいろいろと出てくるかもしれない。
いっそのこと、逆立ちでもしてみるか!笑