我は咲くなり 〜 その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

花の美しい季節となった。
 
お天道様の元で健気に咲く花は、懸命にその命を果たしているように見える。それは、ある意味人間と同じかもしれない。大きな花もあれば、小さな花もある。目立つ花もあれば、地味な花。早咲き、遅咲き。お店で売られる花もあれば、道端でひっそり一生を終える花もある。他の花と優劣を比べることなく、自分にしか咲かせられない花を一番美しく咲かせることが花の使命だとすると、我々人間も与えられた命を大切にし、他人に左右されず精一杯生き抜くことが、使命ではないだろうか。
 
人見るもよし
見ざるもよし
われは咲くなり
 
人が見ていなくても「私」は咲くのだ。
人が誉めてくれなくても、苦労して成し遂げたことを人に評価されなくても(または批判されようと)、「私がした」ということには変わりはない。お天道さまに恥じた生き方でなければ良い。
 
人を相手にしていたら、小さい人間にしかなれない。人が誉めたとか、誉めなかったとか、親切であったかどうか、嬉しかったり悔しいことは人生いろいろあるが、それだけにこだわると、相手に左右され、振り回され、「私」の主体性は失われてしまう。「私」は「私らしく」生きたい。それが「咲く」ことだと故シスター渡辺はおっしゃっていた。
 
誰かのために咲くのではなく、人よりも大きなものの眼差しの前で咲くのであって、その眼差しに美しいと映ればそれで良い。
 
我は咲くなり
 
置かれたところで、自分の花を咲かせることが一番大事。
 
 近所のスノーボール

 

 モクレンの木を乗っ取った藤

 

 実家の君子蘭
 
 実家のシクラメン