一輪一輪、花の使命があるのではないか、と。それは人間とて同じ。
昨年お亡くなりになられたシスター渡辺の著書「置かれたところで咲きなさい」はベストセラーとなったが、元々はシスターの講演会や「心のともしび」サイトで掲載されてきた内容。2000年あたりからシスター渡辺の文章を常に印刷をしてファイルにしてきていたのだが、「花の一生」というテーマは常に心に残ってきていた。
人間は一人ひとり花である。小さい花もあれば大きい花もあり、早咲き、遅咲き、色とりどりである。店頭に飾られ、買われてゆくのもあれば、ひっそりと路傍でその一生を終えるのもあります。花の使命は咲くことにあります。他の花と比べて優劣を競うことにもなければ、どこに置かれるかにもなく、自分しか咲かせられない花を一番美しく咲かせることにある...
そう、見られている、というオーディエンスのことなんて気にしなくていい。見てくださっているのはお天道さんのみ。そう思えば気が楽になるのに、人間はどうしても周りの目を気にしてしまう。または自分、自分と目立ちたくなってしまうのだろうか?
人見るもよし 人見ざるもよし
されど我は咲くなり by武者小路実篤
そう、こんな生き方が好き。そして、理想。
天の神から与えられた才能が花開き、周囲の人に認められる喜び、人が見ていてもいいし、見ていなくてもいい、私は精いっぱい生きるのだ。
上記シスター渡辺はある方から英文の詩を頂いたという。
『神が置いてくださったところで咲きなさい。仕方がないと諦めてでなく「咲く」のです。「咲く」ということは自分が幸せに生き、他人も幸せにするということです。「咲く」ということは周囲の人々にあなたの笑顔が私は幸せなのだということを示して生きるということなのです。神が私をここに置いてくださったそれは素晴らしいことであり、ありがたいことだとあなたの体すべてが語っていることなのです。』
「咲く」ということは他の人の求めに喜んで応じ自分にとって、ありがたくない人にも決して嫌な顔、退屈気な態度を見せないで生きることだとシスター。
それにしても、朝顔とシソを巻いたはずのプランタから不思議な葉が出始め、朝顔以外の花の種は撒いてはいないのになんだろう、なんだろう?と思っていたら、なぜかスミレが... しかも、スミレの開花の時期は今ではないはず。どこかから飛んできたとも考えられない。不思議だあ。
それにしても健気。なぜか置かれたところで(我が家のプランタ)で美しく幸せに咲いてくれて、私の心を癒し、幸せにしてくれる。そのような花になること。そのような生き方がしたい。

