お告げの祝日と殉教 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

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3月25日は「お告げの祝日」。

 

聖母マリアに天使が現れ、聖霊によって神の子を身ごもると告げられる。「ご覧ください。わたしは主のはしためです。おことば通り、この身になりますように」。マリアの天使に対するこたえは教会の中で引き継がれる。

 

ところで、昨夜ミラノでは「殉教宣教者記念日」が祝われれた。3年前に聖人となられた聖オスカル・ロメオの暗殺された命日祭に、「殉教した宣教者のための祈りと断食の日」が始まった。

 

ミラノ教区では同じ小教区の教会で大司教による祈りが行われたが、さすがに夜、仕事から帰宅してからの外出はきつかったので、youtube配信されたもので参加した。

 

この1年の間に多くの司教、聖職者、男子修道者、女子修道者、そして信徒が、福音宣教と人間性の推進の使命を果たしている時に命を奪われた。イタリアでも昨年コモで一人の司祭が殉教したのは、記憶に蘇る。

 

殉教した宣教者たちは「世の希望」だと言われる。彼らは、キリストの愛が暴力と憎しみよりも強いことを証ししているからだ。彼らは決して殉教を求めたわけではないが、福音に忠実に留まるために命をささげる準備ができていた。キリスト教の殉教は、ただ神と隣人への愛という最高の行いのゆえにのみ正当化される、とはいうが、やはり複雑。
 

この世には、多くの隔たりの壁、というものを感じる。宗教的迫害、ジハードもそうであろう。

 

そういう意味では、聖母マリアは魂の殉教を生きたことになる。

 

上記祈りの集いではミラノ大司教デルピー二は「沈黙・涙・ほほえみ」というメッセージを残されたが、自分が、殉教者の母親であったら、きっとうらみつらみで一生を終えてしまうかもしれない。

 

信仰心がないな...と反省。