一人で家でリラックスできるのは、気楽なものだが、それがずっと続き、誰ともコンタクトが取れないとなると、気が滅入ってくる。ましてや、お年寄りは孤立感や不安も高まることだろう。
特にこのコロナ禍などのパンデミックのもとに起きる、この状況をパンデミック・ブルーと呼ぶそうだ。
帰国中、直接接客や電話対応のアルバイトをしていた時に、必要以上に話したがるお年寄りのお客様が多かった。それも、誰かと話したい、という気持ちの表れだろう。
ところで、昨年2月のコロナ感染予防のため、訪問を控える前まで、カトリック日本人会が住所を置いている修道院内の養老院におられる日本人シスター・シスターTを毎週日曜日の午後訪問していた。
シスターは私や日本人の友人たちが訪問しない限り、日本語はあまり話さないようなので(日本語を話されるシスターはいるにはいるが、なぜかシスターTはイタリア人とはイタリア語で話されることを望まれた)、訪問の度に溢れるような話題のシャワーを浴びる。そしてシスターの毒舌に笑いが止まらず、逆に元気を頂いて帰宅するのが常だった。
85歳でミラノの施設に来られた時は、パスタが大好きだから特に日本食が恋しくなることもない、とおっしゃっていたが、やはりおにぎりや醤油味のものやあんこものを持っていくと非常に喜ばれた。やはり日本人だからだろう。
しばらく他の日本人の友人たちもシスターの元へ行くことは出来なかったが、ロックダウンが明けているわずかな期間に、彼女たちの助けを借り、リモート面会でシスターとお話しすることができた。
私が映っている画面に顔を近づけ、「あら、あなた髪型変わったんじゃないの?」と言われ、かなり前に髪を紫に染めた部分は伸びて切ってしまったのに、「あなたの髪型は変。でも個性的で好きよ。」とよく言われていたことを思い出す。苦笑
9月に90歳のお誕生日を迎えられて間もなく、ミラノ市内中心地にある養老院閉鎖のため、在籍していたシスターたちは、修道院の他の施設へと分散して移動となった。
シスターTはミラノの北東40キロにあるベルガモのこれまた郊外に移転されてしまったので、以前のように訪ねて行くことはそうそうできなくなってしまった。どうしておられるのか?気になっていたが、シスターに誰かしら友人が電話を入れると、ああでしたよ、こうでしたよ、と様子を教えてくれた。
私も先週やっとシスターに電話を入れてみた。電話はどの時間帯にかけるべきか躊躇してしまうが、さすがに昼食前なら問題ないだろう?と思い11時半近くに電話を入れてみたら寝ておられるようだった。交換の方が、様子を見に行ってくださり、電話だけれど出る?というと、出ます、というやりとりが聞こえた。
「あのー、私(苗字)です。」というと、「あら?T子さん。待ってね、今シスターを下(玄関口)に迎えに行かせるから」と蚊の鳴くような声でおっしゃる。とはいえ、私の下の名前を覚えていてくださっただけでも胸が熱くなった。「いえいえ、私、ベルガモじゃないですよ。ミラノです。日本からやっと戻ってきましたよ。」というと、「ごめんなさい。私、耳が聞こえないの。」と仰った。
「シスター、聞こえますか?」...「聞こえない。」
「お元気ですか?」...「ええ、元気よ。」
「でもお声が小さいですね。大丈夫ですか?」...「元気じゃないの。」
なかなか会話が進まない。「また改めてお電話しますね。」というと、「ええ、そうして頂戴。」と言われた。
今や訪問者もなく、施設内での人の行き来にも制限があるそうだ。一人日本語を話されるイタリア人シスターもそちらにおられるそうだが、お会いしていないようだった。最近は電話をしても感染予防のため取次の方の都合もあるようで、逆に電話もしづらくなり、またつながる時間帯も想定しづらい。
なんといってもシスターは聖職者であるし、晩年の試練を神に捧げられ、また祈りと共に神様に祝福されていると思うが、片目も視力を失われ、今や耳も聞こえづらく、徐々に言葉少なくなっておられるようだ。とはいえ、レッドゾーンだし、このコロナ禍ではお会いできるのがいつになるかわからない。それでも母国語で、自然に耳に入る日本語ほど心を癒されるものはないだろう。
シスターは聖職者であるが、この状況下で室内に篭りがちだと誰でも不安や悲しみ、落ち込んだり、時にパニックなどの陰性感情が多くなり、持続すると免疫力は下がりがちになる。やはり心の健康に良い影響を与える感情は「嬉しい」や「楽しい」「ほっこりする」などの陽性感情が大事。特にお年寄りは、その陽性感情が心のワクチンとなって免疫力もアップするのではないだろうか。また、声をかけることで、自分に返ってくるものもある。
ちょっとした掛け声が誰かにとって心のワクチンとなりますように。
