「百行の基」とは、さまざまな善い行ないの基礎になるということで、孝心なくして善い行ないはないということらしい。親不孝だけど、ものすごく善根功徳を積んでいる、ということはあり得ないということ。
「一孝立ちて万全これに従う」とは、親孝行な人は自然にいろいろな善いことが出来て、徳が集まるということらしい。親に対する「孝」という感情は世界共通であり、また情愛の気持ちを子に育み育てる一つの大事な教育。
今でこそ、世間は核家族が一般的だが、私は幼稚園に入るまで東京の母の実家で母の両親と3代で暮らしていた。母が母の両親に孝を尽くしている姿を思い起こし、その子供、つまり私も「あぁ、そうやって孝行するんだ」という風に思う。(記憶はないのだけれど)・・・こうした「孝」の伝授こそが一つ家族の絆を強めて行くのであって、今ではそれが疎かになっている。
人間は誰かのサポートなしには生きられない。そして無事に生きてこられたことに対する感謝の気持ちといったものが「孝」という形になるのであって、「孝」というのは一般的にいう「親孝行」だけではないだろう。
しかし「親孝行」というのは全ての愛情の基本であり、親を愛せない人が他人を愛せるはずがないと思う。また親は、子供の幸せを一番望んでいる。だからこそ、幸せに暮らす。幸せに生きることが何よりの善行なのだろう。
現在、コロナ禍の問題で日伊間わが子と離れ離れの生活をしており、毎日ではないが、週に何度か彼らとビデオチャットをしているが, お互い胸の内は明かさないものの, 子供たちの心の葛藤は感じる。イタリア人のように、「ママ大好きだよ」、とか「早く帰ってきて!」とは決して言わないが、必ず「おばあちゃんどうしてる?」「おばあちゃんに宜しくね」と言ってくれる。それだけでも嬉しいねえ,と母は言う。
「距離に耐える愛」というのもあることだろう。心理的、物理的距離を認め、そしてそれに耐え、それを信頼で埋めていく『愛』。
言葉にせずも『愛』は成長していく。耐えなくては...。
ミラノの日常 「考は百行の基」
