孝は百行の基 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

実家生活もあっという間に3週間が過ぎ、ついに明日、ミラノへ発つ。

 

「早かったわね。」と母。でも子供たちは、まだかまだか...と思っているのか?それとも私がいない方が悠々自適な生活をしているのだろうか?

 

長男は連絡すると、「何とかやっているよ」という。次男は「ママがいなくてもちゃんとできるよ!」といって干してある道着の映像を見せてくれた。夫に関しては「一人いない分、家が綺麗だ!」という。私は散らかし屋だというのか?カチンときて、普段、便の付いた便器やら髪の毛やヘドロのような泡がついた湯船をすぐに掃除している人がいるってことがわかってくれるだけでもありがたいと思ったんだけど!と言い返すと、「はい、はい、わかった」といって電話を切られてしまった。む・か・つ・く!!

 

とはいえ、親子水入らずの実家生活は22年ぶり。長女を出産するため帰国したあの時も新緑の美しい5月だった。

 

今回、両親、特に父の状況が良くわかった。大丈夫、大丈夫といわれるが、やはりこの目で確認しておかないと安心できないものもあるし、心積もりもある。少なくとも、大きな病気を抱えているわけでもなく、また運転もやめてくれたので、少なくとも事故を起こされる心配はない。

 

母とも、『老い』という現実、そして状況を受け入れ、生きていくしかないよね、と話した。それは数十年後自分にもやってくるもの。

 

ところで、「孝は百行の基。一孝立ちて万全これに従う」という言葉ある。

 

「百行の基」とは、さまざまな善い行ないの基礎になるということで、孝心なくして善い行ないはないということらしい。親不孝だけど、ものすごく善根功徳を積んでいる、ということはあり得ないということ。

 

「一孝立ちて万全これに従う」とは、親孝行な人は自然にいろいろな善いことが出来て、徳が集まるということらしい。親に対する「孝」という感情は世界共通であり、また情愛の気持ちを子に育み育てる一つの大事な教育。


今でこそ、世間は核家族が一般的だが、私は幼稚園に入るまで東京の母の実家で母の両親と3代でくらしていた。母が母の両親に孝を尽くしている姿を思い起こし、その子供、つまり私も「あぁ、そうやって孝行するんだ」というふうに思う。(記憶はないのだけれど)・・・こうした「孝」の伝授こそが一つ家族の絆を強めて行くのであって、今ではそれが疎かになっている。

 

人間は誰かのサポートなしには生きられない。そして無事に生きてこられたことに対する感謝の気持ちといったものが「孝」という形になるのであって、「孝」というのは一般的にいう「親孝行」だけではないだろう。
 

しかし「親孝行」というのは全ての愛情の基本であり、親を愛せない人が他人を愛せるはずがないと思う。また親は、子供の幸せを一番望んでいる。だからこそ、幸せに暮らす。幸せに生きることが何よりの善行なのだろう。

 

毎回、ミラノに戻る直前起こるザワザワ感と後ろ髪引かれる思い...国内にいても、帰省の度にそう思う、とメッセージをくれる友人、知人、親類が沢山いる。やっぱり子供はいくつになっても子供なのね。