「老い」のレッスン 〜 その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

 

 

先日、修道会の老人ホームにおられる日本人のシスターPが89歳の誕生日を迎えられたので、お祝いに出かけてきた。

 

昨年シスターは、シスターのお母様は89歳でお亡くなりになられたので、彼女の歳は超えたくない。88歳をあと数時間で迎えるという日に、私はもう死ぬ!とおっしゃっていた。88歳を迎えられ、今度は100歳まで生きる!と宣言されたのに、最近は神様が現れ、ご自分の寿命はあと1年と2ヶ月と言われた、とおっしゃる。笑 その割には毎月同じことを言われているので、このまま100歳まで突入していただければ!と思う今日この頃。爆 (その前に、訪問する私がいくつになるのやら?!)

 

そして数日前、彼女を訪問すると、洗面所に入られていたのだが、ちょうどそこにいらした看護師であるシスターや院長(いずれも7-80歳代)達が私をみて”ピチュピチュ、パチャパチャ”とおっしゃるので、???。シスターPが心置きなく日本語を話せるように、日本語を擬音語されたのか?と思っていたら、洗面所から出て来られたシスターが周りに促され、いきなり🎶あっめあっめふーれふーれかあさんが〜...と歌い出された。??? 私の頭はついていけない。笑

 

そして、今度は🎶マーリーア様のこーころ〜...と日本語で聖歌を歌い始められた。どうも最近、日本語の歌が歌いたくてたまらないそうなのだ。(まあ、確かに私もこのところ、日本の唱歌を思い出しては、日本、特に日本の四季を思い起こすことが多い。)海外にいて、日本や自分の幼少期を思い起こす歌や思い出が蘇り、感傷に浸る、というのは歳をとった証拠なのだろうか?

 

だからといって「私は歳だから...」とは常に考えたくないと思う。自分を「型」にはめてしまったら、心が閉じてしまうことだろう。精神性を高め、老いを受け入れるためには、常に開かれた心が必要だと思う。できたこともできなかったことも、その全てを受け入れ、認める。開かれた心が必要となる。

 

母経由で聞く父の話。親類や近所のお年寄り。老人ホームにおられる司祭の話...総合して考えると、心を閉ざし相手を受け入れないと誰も近寄ってこなくなるだろう、と察する。そして、そういう人は、本当の自分自身に出会うことができない。

 

自分が若いと、健康だと、幸せだと、なかなかその逆の生活は想像できないと思う。しかし、歳は確実に取るもので、病気にならずとも、体も徐々に思うように動かなくなる日が来る。徐々に耳も遠くなり、相手の話がよく聞き取れなかったり、理解するのに時間がかかるようになる。勘違い、間違いも多くすることだろう。けれど、人間は未完成なので、誰でも間違いは起こすものだから、素直に間違いを認めれば人間的に成長できるのだろうと思いつつ、なかなかそれを認めたくないのが現実なのかもしれない。

 

人間関係の中で、お互いが時には教え、時には学ぶ。そういう関係こそが、新しい発見をすることができ、感謝の心が持てるのではないだろうか?特に、短かな方、大切な方に対し、開かれた関係を育むことができると信じたい。横柄な態度は、人間関係を閉鎖的にするだけではなく、相手や周りに圧力や負担をかけ自由を奪うばかりだ。

 

そういう意味では、素直に子供のようなシスターPを見ていて、非常に理想的な歳の取り方だと思う。「私、皆に遊ばれているよ。」笑って言える精神的余裕、素敵だと思う。

 

余談だが、画像のサザエさんのお母さん、磯フネさんの年齢設定は48歳なのだそうだ。確かに白髪はないが、私の方が年上だったの?とちょっとびっくり。

 

 

 

「老い」のレッスン

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