今日から一ヶ月、イスラム教徒はラマダンに入った。
ラマダンとは、イスラム教徒が神の恵みに感謝し、約一ヶ月断食を行う期間をそう呼ぶが、一ヶ月間全く食べないわけではない。日没から日の出までの間(夕方以降から翌未明まで)に一日分の食事をとるというもの。この食事は普段よりも多くした大麦粥であったり、ヤギのミルクを飲んだりするようだ。夕方には家族や友人が集まり、一日の断食の終わりの食事(イフタール)をとるそうだが、彼らはムハンマドに習い、デーツ(ナツメヤシの実)から食べ始めるのだという。。デーツは最近の私のヒット商品でもあるが、その7割以上が炭水化物が占め、ブドウ糖と果糖が主成分であることから、エネルギー転換の早い、つまり即効性の高い栄養源と言えるのだそう。
またラマダン期間中は、イスラム教徒にはアルコールが販売されないのだそうだ。大きなホテルの場合、旅行者にのみ提供され日中、人前での喫煙、飲食は禁止される。 ラマダン期間中、大半の商店、銀行、企業の営業時間が短縮されるというが、ここミラノのサンシーロ地域のアラブ人ショップは夕方普通に空いていたし、八百屋も通常通り開いていた。
また、ラマダンとは、イスラム暦の9番目の月のこと。ラマダンとはアラビア語で灼熱を意味する。西暦610年、力の夜と訳されることの多い「カドルの夜」にコーランが預言者ムハンマドに啓示されてから、ラマダンはイスラム教徒にとって聖なる月となった。ちなみに、ラマダンの順守については、コーラン第2章185節でこう義務づけられている。
ラマダンの月こそは、人類の導きとして、また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーン(コーラン)が下された月である。それで、この月の新月を観測する者は、その月中、断食をしなければならない。病気の者、または旅路にある者は、後の日に、同じ日数を断食する。アッラーはあなたがたに易きを求め、困難を求めない。あなたがたが定められた期間を全うして、導きに対し、アッラーを讃えることを求める。恐らくあなたがたは感謝するであろう。
ところで、今朝、月曜メルカートに出かけた。八百屋を始め、雑貨などアラブ人の屋台が多い。行きつけのバングラデッシュの八百屋で、(彼らはイスラム教徒なので)どう体調は?水も飲めないときついでしょ?と聞くと、もう慣れているから...という。まだ初夏ほどの暑さではにないものの、夕方まで一滴も水分もとれないのはきつそうだ。
ちなみに、カトリックでは、「大斎・小斎」という断食がある。大斎と小斎を守る日は灰の水曜日(ミラノは「灰の日曜日」(カルネヴァーレ最終日翌日))と聖金曜日(復活祭直前の金曜日)、小斎を守る日は祭日を除く毎金曜日。
大斎:1日に1回だけの十分な食事とその他に朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満18歳以上満60歳未満の信者が守る。
小斎:肉類を食べないのが基本だが、各自の判断で償いの他の形式、特に愛徳の業、信心業、節制の業の実行をもって代えることができ、満14歳以上の信者が守る。いずれにしても大斎も小斎も、病気や妊娠などの理由がある人は免除される。
ラマダンは、旅行者や妊婦、生理中の人、高齢者や乳幼児、重病人などは断食を免除されることになっているようだが、旅行者や妊婦、生理中の人は、次のラマダン時期までの間に、断食をしなかった日数分、断食を行わなければならないとされており、非常に厳しい。
数年前、夏のオラトリオの時期にラマダンがぶつかった時、リーダーとなっていた高校生はなにも食事がとれずきつそうだった。小学生は大体10歳頃から大人と同じようにする子供が増えてくるという話だが、オラトリオで見る限り、普通に食事をしているようだった。
とはいえ、真夏はもちろん、この時期でも全く水分を取らなくては血中濃度が高くなりはしないか?特に糖尿病患者には非常に危険に思われるし、心筋梗塞や脳梗塞などの合併症は起きないのだろうか?
何れにしても、ラマダンというと、やたらと断食だけが注目されやすいが、「聖なる月」とも呼ばれるように、ラマダン中には人々の信仰心も高くなるという。
同じアパートのエジプト人の奥さんは、それまではベールもかぶらず普通の格好をしていたが、数年前にラマダンの間にモスクへ巡礼に出かけ、それからいきなり頭からベールをかぶり、服装も長く体のラインがわからないような服装に変わった。ラマダン中、日頃の煩悩や欲望を抑えて、ひたすら祈りまくるのだそうだ。ラマダン前は、お祈りしてなかったけど、ラマダンを経て毎日祈るようになったという人や、あんだけ悪だったやつもラマダン後は、人が変わったように善人になったんだ。という話もよく聞くが、彼女の見た目の変化にも驚いた。
そういう意味じゃ、カトリック教会では5月は「聖母月」。神の母、人類の母なる聖母マリアをたたえ賛美する。5月は聖母マリアがすすめた「ロザリオ」の祈りをより熱心に捧げるのだが、ラマダンに向き合う人たちを見聞きし、背筋が伸びる気がする。
