「裸の木蓮」
相田みつを
いま庭の木蓮は裸です
枯葉一枚枝に残しておりません
余分なものはみんな落として
完全な裸です
しかしよく見ると
それぞれの枝の先に
固い蕾(つぼみ)を一ツずつ
持っています
木蓮にとって
一番大事なもの
ただ一ツをしっかりと
守りながら
冬の天を仰いで
キゼンと立っています
キゼンということばを
独占したかのように
裸の木蓮は
寒風の中に
ただ黙って立っています
うららかな春に、大きな花弁をゆったりとゆらす木蓮の花は、非常に華やかで上品でもあり、思わず歩みを止め、木を見上げてしまうほど。また香りも上品でうっとりしてしまう。ちなみに花言葉も「自然への愛」「忍耐」「崇高」「威厳」「持続性」。
しかし、徐々に色あせ、うなだれ、風がふくまま花弁は散っていく...人間は、桜のような散り方もあれば、木蓮のような散り方もあるよな...と思う。
ところで、以前も紹介したが、今の時期の木蓮は裸そのもの。
「裸の木蓮」
https://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12342291694.html
そこには強さと美しさがある。人は、華やかなものには目が行くが、意外に、ひっそりと耐えている姿には気づけない。
けれど年に一度美しい花を咲かせる花々は、花を咲かせる前の姿が、本来最も美しいのかもしれない。冬の寒さに耐え、幹いっぱいにエネルギーを蓄え、その時をひたむきに待つ姿は静かに美しい。
木蓮は、日本では平安時代から栽培されているというが、実は、大昔の恐竜の時代の地層から木蓮の仲間の化石が発掘されているそうで、世界最古の花木らしい。およそ1億年以上も前から変わらぬ姿で咲いているとは、すごくないか?
是非、この時期、裸の木蓮を眺めてほしい。「余分なものはみんな落として」しっかり、大切な芽のために、寒い冬に耐えている姿を。
大切なもののために、大切な命のために。生命は「愛」であると気づかされる。生命は続く。遠い恐竜時代から続いている木蓮。生命は未来の「希望」。
