2018年も残すところあと3日。
バルコニーに貯めに貯めこんだ大型ゴミを夫と息子たちに捨てに行ってもらった。壊れた椅子。鍋、コーヒーマシーンに携帯電話やらゲームの壊れたコンセントやイヤフォン。なぜかペンキのバケツも数個...。車のトランク一杯になった。
本棚も整理しようと思いつつ、そのまま。窓ガラスも磨かないとどうも気持ち悪くて年越しできない。こういうものは、日々常に綺麗にしておけば、年末になって慌てないのに...と毎年思うこと。
それにしても、本当に時の経つのは早いもの。この1年の日記をざっと読み返してみた。
空手、怪我、オラトリオ、両親のことが中心だったように思われる。夫はますます出張が増え不在気味。また、子供達は大きくなり、関わる時間もだいぶ減ってきた。この春まで、長男が日本の高3だったと思い、改めて感慨に浸る。が、とりあえず現地校卒業してくれ〜!次男もあっという間に私の身長を越え、もうそろそろ180cmに突入だろう。縦が伸びれば、横も成長する!どんだけ大きくなるんだ?長女も帰宅する回数が減り、連絡はもっぱらSNS。そこがイタリア人と違うのだが、電話をすれば、図書館にいたり、バイト中。勝手に携帯電話が作動し、しかも変な時間に電話をかけていようものなら「おじいちゃんに何かあったかと心配しちゃったでしょ!」と怒られる。苦笑
また、この夏、母子で沖縄旅行に出かけ、最近ではスペインのビルバオへ出かけたが、子供達の方がしっかりして来ており、私がお金を出すが、予定は彼らが組み、後ろから付いていくだけとなって来た。笑
その分、父と母が小さくなりショックを受けた。父の入院の連絡が来るたびに、胸が締め付けられるような気分になる。また父に寄り添う母の心細さを思うと遠くにいる分、辛くなったものだ。会うたびに、あと何回会えるだろうか?と思ってしまう。幾つになってもやはり子供は子供なのだと思い知る。しかし、親を思う時、自分の原点に立ち戻る。振り返り、また歩み続ける...。昔のことを思い起こし、あの頃があったから、あの人達がいたからこそ、「今の自分」がある...と、感謝の気持ちが湧いてくるもの。
そして、私を悩ませ続けたオラトリオ。今はすっかり離れてしまっている。夕方のミサの帰りや近所でオラトリオにやってくる中高生に遭遇する。態度も悪く、地元ではやっかいもの扱いされている子達が多い。彼らに対し思うことは沢山ある。私の怪我の一件に関しても、移民の子に対し怒りは全くない。それよりも司祭に対する不信感が強くて復帰する気が無くなったのだ。少なくとも彼を赦そう...そう思いつつも彼と話すたびに、表面的なものを感じ、やっぱりダメだ...と思ってしまう。なかなか乗り越えられないものがある。
それにしても、今年も沢山の人と出会った。たった一つの微笑みを求めている人。たった一言の言葉を求めている人もいる。与え、与えられる。「難」があるから「有難う」。そして、「お陰さまで」、と言える人間、そして人間関係を保ちたいもの。
あなたがいたから僕がいた。心の支えを有難う by郷ひろみ 😂
思い起こして、全てに感謝!