パパ様ツイッター ~ 2018年11月 その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

11月16日

Non andare dietro a Gesù solo quando ti va, ma cercalo ogni giorno: trova in Lui il Dio che ti ama sempre, il senso della tua vita, la forza di donarti.
気がむいた時のみイエスのもとに行くのはいけません。毎日彼を探しなさい。: 彼の中に、あなたを常に愛している神、あなたの人生の意味、そしてあなた自身を与えるた強さを見つけなさい。

 

11月17日

Nessuno si può illudere pensando: “Sono a posto perché non faccio niente di male”. Per essere di Gesù non basta non fare nulla di male, c’è del bene da fare!
誰も「自分は何も悪いことしてないんだから大丈夫」と思って自分を欺くことはできません。イエスのためには何も悪いことをしないようというのでは十分ではなく、やるべき善があります。

 

11月18日

Chiediamo la grazia di aprire gli occhi e il cuore ai poveri, per ascoltare il loro grido e riconoscere le loro necessità.
貧しい人の叫びに耳を傾け、彼らの重要性を認識するために、目と心を開く恵みをたずねましょう。

 

11月19日

Non si può amare solo finché “conviene”; l’amore si manifesta proprio oltre la soglia del proprio tornaconto, quando si dona tutto senza riserve.
自分が「都合のいい」ときだけ愛すということはできません。愛とはまさに、自分自身の都合をはるかに超えて、余すことなくすべてを与え尽くしたときに現れるものです。

 

11月20日

La fedeltà è la caratteristica della relazione umana libera, matura, responsabile.

忠実さは自由で成熟した責任感のある人間関係の特色です。

 

11月21日

La Vergine Maria ci aiuti a seguire con gioia Gesù sulla via del servizio, via maestra che porta al Cielo.
乙女マリア、天につながる奉仕の道に喜びのイエスと共にしたすことができるようおたすけください。

 

11月22日

Agli occhi di Dio la vita umana è preziosa, sacra ed inviolabile. Nessuno può disprezzare la vita altrui o la propria.
神の目には、人間の命は尊い、神聖で、不可侵なものです。誰も他人や自分の生活を軽蔑することはできません。

 

11月23日

L’uomo e la donna portano in sé l’immagine di Dio e sono oggetto del suo amore infinito, qualunque sia la condizione in cui sono stati chiamati all’esistenza.
男性と女性は、彼ら自身で神のイメージを運び、存在と呼ばれる条件であればどんなことでも無限の愛の対象である。

 

11月24日

Nessuno di noi può sopravvivere senza misericordia, tutti abbiamo bisogno del perdono.
誰も慈しみなく生き残ることはできません。我々は皆、赦しが必要です。

 

11月25日

Mentre i grandi della Terra si costruiscono “troni” per il proprio potere, Dio sceglie un trono scomodo, la croce, dal quale regnare dando la vita.
地球の偉大な方は自分の力のために自分の "魂" を構築しながら、神は人生を与えることによって支配するために、そこから不快な王位、十字架を選択します。

 

11月26日

Chiediamo al Signore la grazia della generosità, che ci allarga il cuore e ci porta alla magnanimità.
度量の大きさに心を開く寛大さの恵みを主に求めましょう。

 

11月27日

La Chiesa ci invita, questa settimana, a domandarci: come vorrei che mi trovasse il Signore quando mi chiamerà?
今週教会はこのように自問自答するよう求めています: 主が私たちを呼ばれる時、どのように見つけて欲しいでしょうか?

 

11月28日

Non si può seguire veramente Gesù quando si è zavorrati dalle cose. Perché, se il cuore è affollato di beni, non ci sarà spazio per il Signore, che diventerà una cosa tra le altre.
物事に圧迫されている時、イエスに従うことは実にできません。もし心が品にあふれているのなら、私たちの間で一つになろうとされておられる主のためのスペースがありません。

 

11月29日

Davanti alle tragedie della nostra vita siamo chiamati a guardare l’orizzonte, perché siamo stati redenti e il Signore verrà a salvarci. 
人生におけるさまざまな悲劇に直面する時、私たちは地平を見るよう呼びかけられています。なぜならば、私たちは既にあがなわれた存在であり、主は私たちを救いに来られるからです。

 

11月30日

Chiediamo al Signore la grazia di lasciare tutto per andare avanti nell’annuncio e nella testimonianza, proprio come hanno fatto Pietro e Andrea. 
ピエトロとアンドレアがしたように、福音の知らせと証しのために進むよう全てを残す恵みを主にたずねましょう。

 

PapaFrancesco@Pontefix_it

 

11月25日、パパ様はこの一年の典礼暦における最後の日曜日、「王であるキリスト」を祝われた。

 

パパ様は、典礼暦の終わりに置かれた「王であるキリスト」の祭日は、被造物の命は偶然にまかせて生きているのではなく、歴史とすべての被造物の主である、キリストの再臨という終着点に向かって進んでいることを思い出させる、と話された。

 

この日の福音ヨハネ福音書18:33b-37、ゲツセマネで逮捕されたイエスが、大祭司の尋問の後、ローマ総督ピラトの前に連れて行かれ、そこで尋問される場面では、イエスがその生涯を通して政治的野心を持っていなかったことは明らかであると指摘。また、イエスは政治権力以上に、人間の力ではたどり着けない、より偉大な力があることを理解させようとしておられる、と仰った。

 

「真理を証ししながら、この愛という力を行使するためにこの世に来られた」神のその真理とは、すなわち、「神は愛であり、この世に愛と正義と平和のご自身の王国を築きたいと願われている」という福音の本質的メッセージを説明され、イエスが王であるこの王国は、時の果てまで広がる。これに対し、武力や不正の上に築かれた王国は儚く、いつかは崩れる。しかし、愛の上に築かれ、心に根差した神の王国は、それを受け入れる人に平和と自由、満ち満てる命を与える、とパパ様は述べられた。

 

「王」は御言葉と模範、十字架上で捧げたご自身の命をもって、私たちを死から救われたイエスであり、迷える人間に道を示し、疑念や、恐れ、日々の試練に苦しむ私たちの人生に新しい光をもたらしてくださる。

 

いよいよ12月。ミラノは既に降誕祭を準備する期間「待降節」であるが、世界が足並みをそろえ、新たな一年に入る。

 

https://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12419310696.html