「三日(さんじつ)書をよまざれば語言(ごげん)味なし」という諺がある。
意味は文章そのままで、3日間読書をしないと、話に味が無くなってくるというもの。つまり読書をすることの重要性を訴えている。
そういえば、最近、活字は読んでいるものの、「本」自体、まるまる一冊読み切った!ということが少ないな...と思う。バッグにはいつも本が入っているが(空手の本。爆)いつも、あれもこれもちょこちょこかじっているだけで、一冊が読み終わらない。
ところで、日本人の平均年間読書本数は12-13冊なのだそう。私はそれこそ、次男が生まれるまでは、だいたい年間50冊は読んでいたが(つまり一週間に1冊ペース)ある時からガタッと落ち始めてきた。編み物をしていることもあるし、移動中はネットを見てしまうことも多いのが原因だろう。
偉そうなことは言えないが、やはり本を読んでいる人は、話題も豊富で、話す内容が面白い。学歴よりも、人生は「読書次第」で大きく変わってくる、といっても過言ではないだろう。
現代は高度情報化社会だから、今まで以上に情報の選択や中身に対する批判力が重要になってくる。それには知識よりも知恵が大切。知恵というのは、「物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力」のことを言う。(大辞泉より引用)それには、やはりまずよく学び、よく考え、よく想像し、よく理解し、判断する。いってしまえば「勉強しろ」ということになるが、私は本を読むことが重要だと思う。
しかし、今時の人は、携帯電話をはじめ、テレビ、ゲームなどに熱中し、ベータ波が急激に低下して、反対にアルファ波という瞑想の時などに強く出てくる脳波が強くなるという。つまり、思考、判断、推理、道徳心など大脳皮質にある「前頭前野」がほとんど働くなるそうだ。
また、文章を書く時の脳活動計測では、手書きで手紙を書くと前頭前野は沢山働くのに、パソコンや携帯電話で手紙を書かせても前頭前野は全く働かないという結果も出ているそうだ。自分の手指を使った知的作業は前頭前野を活性化させ、ITを使った知的作業は前頭前野を抑制させている。
いやいや、いずれにしても、すべての人に与えられた時間は1日24時間。毎日やるべきことは沢山抱えているわけで、その中で、どう時間を割り振るか...。昨今の「本離れ」「読書離れ」は、行動様式の多次元化や、情報量そのものの増加により、そのような取捨選択が行われたのが大きな要因であろう。
「読書」は単に必要な情報を得る手段、あるいは好奇心を満たすための娯楽に過ぎないのだろうか? 説得力のあるうまい文章を書いたり、すぐれた企画を立案する、いわばクリエイティブ脳をつくる上でも、読書は欠かせない大脳トレーニング。
さあ、冬の長い夜に読書で「脳」を鍛えよう!
画像は、印象派の黒田清輝氏画 『読書』(1890年頃)
