パパ様ツイッター ~ 2018年11月 ① | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

11月1日

Celebriamo oggi la festa della santità. Rafforziamo i legami d'amore e di comunione con tutti i santi che già sono giunti alla presenza di Dio.

聖性の祭りを今日祝います。私達は神の存在にすでにあるすべての聖人との共に愛と聖体拝領の絆を強化しましょう。

 

11月2日

Gesù ha tolto alla morte l'ultima parola: chi crede in Lui sarà trasfigurato dall'amore misericordioso del Padre per una vita eterna e beata.
イエスは死への最後の言葉を取り除いている。永遠であり祝福された命のために彼を信じる人は、父の慈しみの愛に変貌されます。

 

11月3日

Dio è fedele e la nostra speranza in Lui è come un'ancora ben salda nei cieli.
神は忠実であり、天にしっかり固定された碇のような彼は私たちの希望です。

 

11月4日

La Messa domenicale è al centro della vita della Chiesa: lì incontriamo il Signore risorto, ascoltiamo la sua parola, ci nutriamo alla sua mensa e così diventiamo Chiesa. 
日曜日のミサは教会生活の中心です。そこで復活した主に出会い、み言葉に耳を傾け、食卓で養われ、こうして私達は教会になるのです。

 

11月5日

Gesù ci ha amato gratuitamente. La vita cristiana è imitare l'amore gratuito di Gesù. #SantaMarta
イエスは私たちを無償で愛します。キリスト者の生活は、イエスの無償の愛を模倣することです。

 

11月6日

Impegniamoci, con la preghiera e con l’azione, ad allontanare dal cuore, dalle parole e dai gesti ogni violenza, per prenderci cura della casa comune.
心と言葉と行いからすべての暴力を遠ざけ、私達の共有の家を世話できるよう、祈りと行動をもって努力していきましょう。

 

Gesù ci chiama a fare festa con Lui, ad essere vicino a Lui, a cambiare vita. #SantaMarta
イエスは彼と共に集い、近くにいて変わるよう呼びかけています。

 

11月7日

Pregare significa bussare alla porta di un amico. Dio è nostro amico.
祈ることは友人の戸を叩くことです。神は私たちの友人です。

 

11月8日

Che il Signore ci faccia capire la logica del Vangelo: la misericordia con la testimonianza.
主よ、証しによる慈悲、という福音の論理を私たちに理解させてください。

 

11月9日

Dove c’è il peccato c’è anche il Signore Dio misericordioso che perdona se tu vai da Lui. 
罪のあるところ、主の元に行くならば赦してくださるいつくしみ深い神なる主もまたそこにおられます。

 

11月10日

La comunità scientifica oggi è chiamata a costituire una leadership che indichi soluzioni di sviluppo sostenibile e integrale di tutti i popoli, indispensabile per costruire la pace.
科学者共同体は今日、すべての民族の持続可能で総合的な発展のために、解決策を提供する指導力を確立するよう求められています。それは平和建設のために必須です。

 

 

11月11日

La domenica è un giorno santo per noi, santificato dalla celebrazione eucaristica, presenza viva del Signore tra noi e per noi. 
日曜日は私達のための神聖な日、聖体の祭典、私達間との間に、そして私たちの為に生きている主の存在によって聖化されます。

 

11月12日

Preghiamo oggi per i vescovi, perché siano sempre come san Paolo gli chiede di essere: umili, miti, servitori.
聖パウロが常にいうように司教は常に謙虚で、穏やかで、そして仕えるものであるように今日、彼らのために祈りましょう。

 

11月13日

Il primo passo per conoscere Gesù Cristo è riconoscere la propria miseria, il bisogno di essere salvati.
イエス・キリストを知る第一歩は、貧しさと救いの必要性を認識することです。

 

11月14日

Gesù non si accontenta di una “percentuale di amore”: non possiamo amarlo al venti, al cinquanta o al sessanta per cento. O tutto o niente.
イエスは "愛の割合" に満足していません。: 私たちは20、50または 60% というように彼を愛することはできません。オールオアナッシング。全てかゼロ、です。

 

11月15日

“Il regno di Dio è in mezzo a voi." Non è spettacolare. Cresce in silenzio, di nascosto, attraverso la testimonianza, la preghiera e l'attrazione dello Spirito. 
"神のみ国はあなた方の間にあります。”それは壮観ではないけれど、それは沈黙の中で、密かに、証しと祈り、そして聖霊の魅力を通じて成長します。

 

 

papaFrancesco@Pontefix_it

 

「主の祈り」が変わるそうだ。

 

「主の祈り」は、イエスが語ったとされるアラム語からの翻訳で、古代ギリシャ語などを参照してラテン語に訳された公認版のウルガタ聖書から取られた。キリスト教徒は幼少期からこの祈祷文を暗唱し、ミサなど典礼の中で唱えている。

 

昨年のクリスマス前から、フランスのカトリック教会では、「主の祈り」のある部分のフランス語だけがいっせいに変更された。もともと既に21世紀の初めから、フランス語圏の司教会議では、典礼に使う聖書の訳の新訳について協議がなされていて、2013年11月にこの部分の変更が合意されていた。2017年3月に正式に承認されていたのだが、世界的にはまだ認められていなかった。

 

イタリア語に関しては、

“Non ci indurre in tentazione” 

私たちを誘惑に陥らせず

 

が、

 

 “Non abbandonarci alla tentazione”

私たちを誘惑に放置せず

 

に変わる。

 

とはいえ、訳が変わるのは、別にキリスト教が変化するわけではない。そして、決して神が信者が罪を犯すよう誘惑しているわけではなく、その誤解を解くために変更ということだ。

 

神と人間の関係のどの部分に焦点を当てるかというのは常に時代によって変わってきている。

 

『人間の救済に心を砕く神』から『社会の公正に配慮する神』。そして今のパパ様は常に、『ミゼリコルディア。いつくしみの神』だが、神は初めからいつくしみ深い存在なのではないか?

 

ヘブライ語の修辞法では最も大事なものが中心にあって、前と後ろに挟まれることになっているという考え方から、最初の「御名、御国、御旨」というのは「王としての属性」、最後の「罪、赦し、悪」というのが「神としての属性」、一番大切なのが真ん中の、「今日の糧をください」という「父と子の関係」だという説がある。つまり「父」としての「神」が一番重要。

 

そして、「神としての神」の部分に、「悪へのいざない」つまり「誘惑」という「試み」が出てくるわけだ。

 

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。

アーメン。

(2000年2月15日 日本カトリック司教協議会認可)
©日本カトリック司教協議会 

うーん、よくわからない。解釈は微妙に人によって違う。私はやはり学生の頃、唱えたプロテスタントの祈りが一番好きだなあ。

 

天にましますわれらの父よ、
願わくは御名を崇めさせ給え
御国を来たらせたまえ
みこころの天になるごとく
地にもなさせたまえ
われらの日用の糧を
今日も与え給え。
われらが罪を犯すものをわれらが赦すごとく、
われらの罪をも赦し給え。
われらを試みにあわせず、
われらを悪より救い給え。
国と力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり

 

ちなみに”グローリア”(栄光の賛歌)も”pace in terra agli uomini di buona volontà”(地には善意の人に平和あれ)が

pace in terra agli uomini amati dal Signore”に変更するそうだ。地には主に愛された人に平和あれ、ということか...

 

もうわからん!