「答え」を出すより大切なこと 〜 クレーム処理 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

二週間ぶりに空手の、茶•黒帯指導者養成塾(誰が命名した?)に出てきた。

 

毎週、問題が投げかけられ、その理由を考えていく。だいたい「正解」などない、と分かれば考えるのは気が楽だ。

 

先週末は、詳細が複雑ではあるが、親の経営するお店に出たクレーム処理を子供が対処する、というものだった。

 

客は、顔なじみの客、ツーリストのような多分今後戻ってくるかどうかわからない行き当たりバッタリの客。そして明らかにわかるクレーマーの客との対応。しかし、大抵の門下生が、とりあえず「謝る」と答えた。

 

ところで、欧米では「謝る」ことは自分の「非」を認めることになってしまうので、そうそう謝らないほうが良い、という考えがあるが、特にイタリアはひどい。100%自分が悪くても絶対に謝らない人が多い。

 

微妙に視点は違うが長女が高校生の頃、遅刻をする度に「言い訳」をしない、と担任に嫌味を言われたことがある。日本人であれば当然ではないか?と思った。少なくとも、彼女は、たとえATMが遅れたとはいえ、自分がもう少し家を早く家を出ていれば状況は違っていただろう。ギリギリに出れば遅れても当たり前、ということを分かった上で遅刻したのだから言い訳をしなかった。それは私としては当然のことだ、と思ったが、教授は言い訳をしないことを、よくない、とは言わなかったものの、あまり良く受け入れていないようだった。いちいち言い訳をする人間は、みみっちい!人間ちっちぇー!!もっとプライドを持て!と言いたくなってしまうのは私だけか?!苦笑 間違ったり、自分のせいであれば、謙虚にみとめよ!!と思う。

 

空手の上記クラスの話に戻ると、何が正しいか、という答えはなかったものの出題者の方は、日本ではすぐに謝るのが美徳とされているが、欧米では決してそうではない、という話があったし、やはり大人の中では、客の言い分は聞くものの謝りはしない、という方もおられた。へえ、そうなんだ!と思った。私としては、相手がどんな客であろうとも、そしてたとえ明らかにクレーマーだというような人がいたとしても、とにかく誠心誠意謝る。お金を返すとか、代わりにパンを差し上げる、という意見もあったが、そこまで子供が勝手にしていいものか?きっと自分だったら悩むだろうと思う。とはいえ、きっと自分を信頼してくれている親だったら、怒られないかもしれない。けれど、もしそれが自分の子供だったら、とりあえず親の意見を聞いてからやってよ〜!と文句の一つや二ついってしまうかもしれない。現金すぎるか?その辺はどうかな...と思いつつ他者の意見を聞いていた。

 

最後に、師範の個人的意見として、やはりどんな客であろうと態度は変えるべきではない、というアドバイスがあった。そして経営者側の見方としては、目先だけのことにとらわれずもっと上から、大きな目で見るべきだ、とおっしゃっていたが、うーん、難しい...

 

何れにしても、謝罪することで、共感、お互いの感謝の会話のプロセスには繋がるだろう。とにかく相手の言い分を傾聴する。それは大切。大事なのは、今後の経営だ。相手に敬意を示し、クレームを活かすことが、経営の基本。クレームをもらったら、チャンス。チャンスはチャレンジ!

 

けれど、利益追求の経営的見方だけではなく、「人間」的にどうよ、と常に考える。

相手に叱責、苦情には必ず言い分がある。私も文句を言いたことはなきにしもあらずだが、逆の立場(指導者)になった時、どう気づかせてもらい、改善していくか、それは大切な機会になるのだろうなあと想像する。

 
来週の課題として、私が「公園あそび」をテーマに出題した。
子供の社会でも、大人の社会でも存在するパワーバランス。それをどう考えるか?どうしたいか?というこれまた、抽象的な問題を出してしまったが、帰りがけにイタリア人門下生から興味深い意見を耳にした。
 
イタリア人はカトリック信者が多く、カトリックには「告解」(懺悔、と呼ばれるもの)があるから、その場しのぎで謝るもの、本当は心にもなく、適当なのよ、という。そういう見方もあり?私も一応カトリック信者なんですけど〜。苦笑してしまった。ちなみに彼らは無宗教。極端だが、そういう風に取らえている人(そういう人は大抵無宗教かアンチカトリック)も悲しいかな少なくもない。
 
これもまた、欧米でシチュエーションが変わってしまうこともあるだろう。そして、私のように人種、国籍を超えた子供達を相手にしていると、一般的な常識では通じ得ないことも起こるのだ。じゃあ、どうする?となると、これは私のボランティアとしての力量にも関わってくるもので、常に頭を痛めている問題にも通じることになる。
 
今週末、どういう意見がでるか楽しみだ...。
 
 

「答え」を出すより大切なこと