Oratorio Estivo 2018 オラトリオ 〜 All'Opera その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

あっという間に、夏のオラトリオの1ヶ月が終了した。ほんと、あっという間だった。

 

恵みもあった分、不満も多かった。

 
常に頭を痛めてきたのは人間関係だった。そして、信仰とは? いやあ、信仰以前にカリタとは?慈しみ〈ミゼリコルディア〉とは? だった。またそこにある私の使命とは?
 
どうしても一人の司祭とうまく意思疎通が出来なかった。というか意見、或は助言を求めるメンバーの話を聞かない。そしてすでに人数は足りているのに、次から次へと移民をボランティアに投入し、彼らと知り合い、彼らが泣く時は共に泣くように...という。しかし、時間は守らない、いい加減。頭が痛かった。私たちが泣きたい時は、聞いてくれない、助けてくれないというのはどういうこと?
 
今年手伝いに来たシスターもカリスマ性はあるものの、かなり頑固で彼女とぶつかる人が多く、その間に立ってきつかった。whatsAppにオラトリオの手伝いのグループがあり、本来は責任者がいたものの事実上は仕事の都合でこられず毎晩メッセージやら電話でやりとりしたが、何かと彼女の怒りや不満をぶつけられた。また彼女も私の報告をみるのは辟易していたはずだ。苦笑
 
それでも、夏のオラトリオの期間中、日本人の大司教が枢機卿に叙任され、彼の記事を読んだシスターが日本でのキリスト教宣教に関する意見や感想、聖書にみる女性のあり方などの意見交換やらメッセージを頂けたのは私にとってはよい機会だった。
 
それにしても、イタリアを始めヨーロッパは移民問題で頭を抱えている。周りのオラトリオは300人以上の子供たちを抱えているところもあったようだが、我がパロッキアはリーダーたちも含め100人前後のオラトリオは7割あたりが皆外国人。それもすごいことだ。イスラム教徒も来ている。まさに開かれた門ではある。
 
いずれにしても我がパロッキアはリーダーの人手が足りなく、帰りがけいきなり声をかけられ、子供たちのゲームの助っ人に参加することも数回あった。子供たちの人数が例年よりも少ない分、以前のような手のつけようもないやりたい放題の子供たちは少なかったが、それでも家庭のしつけのなさがよくわかる子供たちもそこそこにいた。
 
毎週水曜日に、見かけない大人たちが来ていたので、子供たちのおじいちゃんやおばあちゃんたちなのかと思っていたら、どうも地域の貧しい人を昼食から招待し、午後は一緒に遊ぶ、というプログラムだったと後になって気づいた。しかし、もてなしてもらうのが、当たり前?横柄な態度の人も多く驚いた。お昼時のボランティアは多くても掃除になるとパーっと消え、特に夕方のトイレ掃除は誰もいない日があり、子供たちがプールや遠足に出かけている日に掃除に出かけることも数度あった。
 
最終日の夜、フェスタが行われたが、私は参加しなかった。朝から陽が燦燦と照る中、ゲームに駆り出され、午後は暑いキッチンで夜のフェスタの準備、夕方から日本人シスターの面会に出かけたが、帰りがけ雹と大雨にあい、いい加減疲れていかなったのだ。お世話になったメンバーにはお礼のメッセージを入れたが、上記司祭には連絡をしなかった。あとで花を準備していたのに...と言われてしまった。苦笑
 
花はいらない。ただ、1日も早く反省会をさせて欲しい。でなければ来年はボランティアは来ても、しっかりまとまりませんよ、と司祭に一言言ったら、苦笑いされた。本来は喜びをもって臨みたかったオラトリオ。責任はまっとうした。義務も果たした。けれど、喜びは...?いつものようにジレンマが多かった。なんだかな...
 
 
  折り紙教室の子供達と。毎回リピーターでやってくる子供たちの喜ぶ姿が支えだった
 
 また、ボランティアのシスターから送られてきた画像。”Grazie"という意味ですよ、とメッセージをおくろと「だからあなたに送ったのよ」と言われた。ちょっとグッときた。
 
私にも「させていただく」謙虚さが足りなかっただろうか。反省...