カトリックの一年の「典礼暦年」の頂点は、キリストが復活された事を記念する「復活の主日」。この日は、春分直後の満月の次の日曜日なので、今年は4月1日。
主が復活された聖なる夜にちなんだ復活徹夜祭(復活祭前夜、つまり、今年は3月31日の土曜日) は、「すべての聖なる徹夜祭の母」とされるが、その夜、教会はキリストの復活を徹夜で待望し、秘跡をもって祝う。12年前に私が洗礼を受けた時は、私のパロッキア(教会)はこの復活徹夜祭は夜の11時からだった。それが、司祭が変わり、10時になり今や9時から。お年寄りが多いからかな? 苦笑
木曜日の「最後の晩餐」の後、イエスはユダの裏切りにより捕らえられ、イエスを殺そうとする祭司長たちの策謀によって、無実の罪を着せられ、十字架上での死に至った。
予言通り、イエスは三日後に復活し、ガリラヤに集まっていた弟子たちの前に現れ、こう言われる。
「わたしは代の終りまで、いつもあなた方と共にいる「(マタイ28:20)
辛い時、苦しい時に、この言葉をかみしめる。
ところで、「あしあと」(マーガレット•F•パワーズ著)というとても素敵な詩があり、それが絵葉書になっている。
キリストは奇跡を云々とする教えはしていない。観念的なものでもなく、常に弱者の立場に立ち、共に涙をながし、寄り添ってくれる方。だからこそ、キリストの言葉に活かされ、生かされるのだと思う。キリストとの出会いがなければきっとわけのわからない宗教に思えることだろう。
しかし、この男の言葉にこそ、人間の生き方が示されており、それだけで十分に信じるに値する。
話は変わるが、今日ミサの中で、わたしは答唱詩篇で先唱を歌い、詩篇を朗読した。何が問題ってマイクで歌を歌うのも緊張だが、イタリア語での朗読は、発音をはじめ、息継ぎする場所も間違えば変なイタリア語になってしまう。家で何度も練習し、次男に聞いてもらったが、発音を厳しく直された。また”ハレルヤ”は自転車に乗りながら何度も練習した。
私の前に朗読をしている人を待っている間に、急に喉が渇いてきて、あー声が枯れてしまったらどうしよう?と心配になってきた。大丈夫、神様は私と共におられるから、大丈夫...ずっと自分に言い聞かせ、なんとか無事終了。
ミサの後の祝賀会で、喉が渇いていたので、スプマンテを3杯も飲んでしまった!爆 何人かの人に「詩篇よかったよ!」「T子もやっとデビューだね!一般信者も必要だったからね。」と言われた。普段答唱詩篇を歌うのは、常にシスターたちばかりだったからだ。でももう嫌だわ、緊張するのは...
とはいえ、あなたと共にいる...この言葉に生きる勇気を頂くのは事実で、この言葉を噛み締めながら生きたいと改めて思った。

