心で感じるクリスマス | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

 

 

今年も恒例のクリスマス女子会ウイークが始まった。イタリア人グループ、日本人グループ、ミックスグループと全て女子会。

それはそれで楽しいのだけれど、カトリック信者としてはちょっぴり微妙。常にクリスマスは静かに喜びを持って待とう!と思いつつ、絶対ありえないのだ。上記の集まり以外にも、子供の関係(大きくなるほどその回数は減るが)などがある。

本番?のクリスマスは,イタリア人は皆家族で集まってお祝いするが、別居、離婚、新たな家庭...も日常茶飯事だし、24日はどちらの家族と、25日は誰と...と大忙しの様子。家が会場になる家庭の主婦は料理の準備に大忙し。とはいえ、ここ最近、手間を省きレストランで食事をする家庭もだいぶ見かけるようになった。以前は24,25日といえば、
レストランは閉まっていたが、今では開けているところもだいぶ増えた。ちなみにイタリアは26日も最初の殉教者•聖ステファノの祝日で連休。

また、プレゼント交換のための商業戦線も毎年激しい。先日南仏に旅行に行った帰り、夫の日本出張のお土産を買いにアウトレットのショッピングセンターに寄ったが、朝からものすごい人だった。しかも、皆凄い量を買い込んでいる。もちろん、アウトレット価格だが、それだけ物を要するのだろう。

ふーん。と横目で見るだけ。

我が家はすでにサンタクロースにお願いすることも、物質的要求をする者はいない。欲しいものは自分でバイトして買うから、と現実派。私は、プレゼントよりも、とにかく皆無事に卒業してくれ!お金もこれ以上かけさせないでくれ!とそれだけ。あとは両親の健康かな...これが今一番の不安だから。

ところで、クリスマスといえば、子供の頃,通った教会の事を思い出す。また,大人になって通っていた英会話教室にプロテスタントの教会の牧師さんがクラスメートにいて,クリスマスには毎年通った。どこでも,笑顔で迎えていただき,温かく歓迎された事を思い出す。

クリスマスは本来「喜び」の日。
【喜び】と【楽しみ】では似て非なるもの。本質が違うのだ。「楽しみ」は自分中心のものであるのに対し,「喜び」は自分の外に輝き,他者とも分かち合えるものではないだろうか?

 

そうそう、先日の女子会では、ある友人の離婚発表がされた。ずっと苦労をしてきた友人だったから、一斉にわーっと歓声が上がった。おめでとう!!どさくさに紛れて、いいなあ、うらやましー!、という声もチラホラ。爆 でも中には、まだ新婚さんやこれから出産の若い妊婦さんも数人いた。うふふ、酸いも甘いも噛み分けた女性たちの発言は若い人たちには刺激(過激?!)すぎ?!

 

とはいえ、上記妊婦さんの一人は、私は初対面だったが、それでもこれから新しい命が生まれる!と思うとやはり嬉しい。子育ては一杯苦労が伴うけれど、それでも多くの希望や期待を持つもの。頑張ってね〜!と思わずお腹に触れさせてもらった。

生きて行くには,自分の心の中で,パン種のように,じわじわと静かにふくらみ,やがておいしいパンとなる,人々の心とお腹も満たす喜びをもつことが大切。


メリー•クリスマス!
Merryは楽しいという意味があるけれど,ただ楽しいクリスマスではなく,心の体験が物質的なものを乗り越え,私たちの生活を豊かにして行く。

心の飢えを物で満たさせないように。心で感じるクリスマスを迎えましょう。

E' Natale

E’ Natale ogni volta che sorridi a un fratello e gli tendi la mano.
E’ Natale ogni volta che rimani in silenzio per ascoltare l’altro.
E’ Natale ogni volta che non accetti quei principi che relegano gli oppressi ai margini della società.
E’ Natale ogni volta che speri con quelli che disperano nella povertà fisica e spirituale.
E’ Natale ogni volta che riconosci con umiltà i tuoi limiti e la tua debolezza.
E’ Natale ogni volta che permetti al Signore  di rinascere per donarlo agli altri.
(Madre Teresa di Calcutta)


兄弟にほほえみかけ、助けの手を差し伸べるたびに、それがクリスマスです。
隣人に耳を傾けるために沈黙を保つたび,それがクリスマスです。
虐げられた人々を社会の片隅に追いやるような主義をあなたが拒むたび、それがクリスマスです。
肉体的にも精神的にも絶望する人たちと共に願うたび,それがクリスマスです。
あなたが謙虚に自分の限界と弱さを認めるたび,それがクリスマスです。
あなたが主がご自分を他者に捧げられた事を認めるたび,それがクリスマスです。



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