12月は忙しない。
忙しないとは、「心」を「亡くす」と書き、気が急いて落ち着かない、せかせかしている様子を言う。
「心」が「荒れた」、慌ただしさはうっかり何かを忘れ、仕事に穴を開けたり、信用を失くすことさえ起こり得ることだ。忘れることも、「心」ここにあらずで起きること。
すべて、心が関係している。
ところで、土曜日の午後は、日本人学校内でのゴスペルのレッスンに出掛ける。以前は,空手の稽古があり、そのまま夕方まで居残ったり、近所のバールで時間をつぶしていたが、最近は稽古に出ていないので、夕方から出掛ける。
どうも日本人学校の近くにエジプトのコプト教の教会があるらしい。彼らは非常に敬虔で土曜日の夕方はもちろん日曜日にも大家族で、しかも公共機関を使って教会に出掛ける。
サンシーロ地区のポポラーレと呼ばれる低所得者地域に彼らが多く住んでおり、毎週私が学校へ行く時間帯に彼らにバッティングする。今でこそ慣れたが、なっなんだ?この子供の数は?と思うくらいの乳幼児連れのエジプト人たちが乗り込んできて、一気にうるさくなるのだ。それでも、子供達はほとんどイタリア語を話している。個人的には同じエジプト人でもイスラム教徒の子供達の方がアラブ語を話しているように思われる。親にしても(特に母親)コプト教徒の方が進歩的のように思われるのは不思議。
それにしても、週末のバスは特に本数が減るので、平日のように移動しようとすると、思い切り待たされる。今日もこの寒い中、8分待ちが15分くらい待った。バスが来た時点でかなり混んでいたのだが、次と次の次の停留所でどっとエジプト人の親子たちが乗り込んできた。しかも大きなバギーが数台。私が利用する98番バスな2両編成だが、バギーを止められる場所は決まっている。2両に渡り、バギーは別れて乗り込んで来たが、それでもすごい混みようで、また子供達の奇声が飛び交う。
幸運にも私は座れていたのだが、後ろの方で男性の叫ぶ声が聞こえた。イタリア語だった。振り返ってみたが、様子がわからない。誰か乗り切る前にドアが閉まってしまったのか?違った。車椅子の乗客が座る場所に折りたたみの椅子があるのだが、そこにバギーが占領しているので、自分が座りたいのに座れない!と言っているらしかった。
俺は、腰が痛いんだ!座らせろー!!再び振り向くと、杖を振り回しているように見えた。OMG!!
一度、郵便局でも、杖をついたお年寄りが、自分は年寄りだ!一番にしろ!と言って窓口にいる先にいたお客をどけようとした光景を見たことがある。トラムでも、私が間違って障害者優先の席に座っていたら、杖を振り回されたことがある。幾ら何でも傲慢ではないか?!
日本でも「傲慢シニア」の話題はよく耳にするが、そうでなくともこの12月、ちょっと人ごみの中の中で荷物が多くて人にぶつかろうものなら、大声で罵り、また、地下鉄の乗り降りも秩序がなく、出入り口で揉める様子を良く見かける。人に迷惑をかけないなんて常識だし、ちょっとした思いやりがあれば、他人のことも許せるじゃない!と思うのだが、そうでもない世の中。
そうなると、直接自分に降り掛からなくても非常に気分が悪くなる。
12月の夕方の街中は、交差点ではやたら車のクラクションが鳴り響く。
忙しく、いろいろなことが目まぐるしく動く月だからこそ、もう少し心に余裕を持とうよ!
そういう意味でも、この時期に1年を振り返る時間を持つことは重要。しっかりと振り返ることで、反省をし、新たな年を迎えるたい。忘年会シーズンだが、一般的に、忘年会はその年の苦労を忘れるために執り行われる宴会のことを言うようだ。苦労は忘れたいが、反省は新たな一歩に繋がる。
来年の12月の描いた姿のために今、何が出来るだろうか?
忙しさに負けずイメージを持って前に進もう!
