最近、朝、長男も次男も出掛ける際、大きな声で、「行って来ます!」と言うようになった。私の返事が聞こえないようなら、聞こえるまで繰り返す。どういう心境の変化?
勿論当たり前の事なんだが、「いってらっしゃい」「おかえりなさい」とこちらから言わないと言わなかった子たちが、気づいたら自分で挨拶をするようになっていたのは非常に嬉しい。
親バカちゃんちゃかりんだが、先日長男が空手の稽古で早退することがあったのだが、礼をして退出する際、「ありがとうございました。お先に失礼します!」と言って出て行き、おっ!と思った。日本人家庭だと日本語は完璧でしょ?とよく聞かれるが、毎日の会話など意外に何かのテーマを話すわけでもなし、ボキャブラリーや言い回しが増えるわけでもなく、日本にいたら当たり前でも知らないことは多いのだ。
強いて言えば、やはり日本企業でアルバイトしたことは、彼にとって大いにプラスになっているように思える。また、最近小学生のハーフのお子さんに日本語とイタリア語の家庭教師も始めたので、それもかなり彼のためになっているように見える。何事も感謝だ。
ところで、最近日本の新聞で、大相撲の横綱•白鵬が九州場所で、審判に手を挙げ物言いをし、勝負後の礼をしないという前代未聞の振る舞いがあったと知った。文句をつけてでも勝ちたいか?たとえ負けても「礼」で終わる、それも力士の「品格」ではないか?と思った。
以前子供達がいた道場では、先生に最低16歳、技と心と身体が満たない限り黒帯にさせられない、と言われたことがある。(今思えば、ごもっとも!と思う)当時8歳だった長男、えーまだ8年待つんですか?と言ったことがあるが、毎年昇級していっても、黒帯手前の茶帯で4年足踏み。彼には辛かったと思う。そして流派を変え、新たに白帯から再出発。月心会イタリア本部もいかに技が上手でも初段は取れない。心の修行にも重点が置かれ、心も育んでいかなければならないからだ。それには、もちろん、礼儀も含まれる。
返事はもちろん、気づいたら動け!とよく子供達に言う。しかもタラタラではなく走れ!言われて動くことは誰でもできる。けれどいつも受け身じゃ進歩はない。
「礼」は、好きとか嫌いとか好みの問題ではなく、相手を尊重する行為。「礼」を軽視する人間は、結局は自分に甘く、迷惑を顧みない人なのではないだろうか。尊敬の念、感謝の念は自然に体の中から出るものでありたい。
「礼に始まり、礼に終わる」
武道のみならず、毎日の生活に言えること。
ちなみに日本の月心会総本部の方針には、小学6年生まで、「両手をついて両親におやすみなさいを言う」というのがある。尊敬の念、感謝の念は生活習慣から始まる。