Il Ballo del Volontario by Lorenzo Baglioni
最近、ボランティア推進?の曲としてこのプロモーションビデオが出回っていた。歌っているのは、フィレンツェ出身の俳優兼映画監督のミケーレ•バリオー二。
先日、イタリア中部のトスカーナで豪雨による洪水で、数人がなくなっており被害も続出しているので、それに伴うボランティア募集の曲か?その割には、ノリが軽いな...と思っていたら、それとは全く別で、ボランティア団体が集結し("Cesvot"), 今回若者に呼びかける”Young Energy"なるキャンペーンのために作られた曲のようだった。
何れにしても、ボランティアというと、まだまだ若者にとっては認識が浅いようで、若者に、人を助ける仕事の素晴らしさを訴えるために作られた曲のようだ。
歌詞を見てみると、イタリア語とスペイン語が混ざっているのだが、
歌詞を見てみると、イタリア語とスペイン語が混ざっているのだが、
Los volontario de la misericordia...慈しみ(慈悲)のボランティア、とある。
「慈悲、慈しみ」という言葉は、ラテン語でミゼリコルディア•Misericordiaという。miseria (あわれさ、悲惨さ、みじめさ)を心する(cordia)ことであるが、日本語で「憐れ」というと、どうも悲惨で憐れ、不憫なイメージがあるが、本来は「慈しみ」と同じ意味で使われており、目下の者や弱い者に愛情を注いだり、大切にすること。「大切」と言えば、キリシタン時代、「神の愛」を「デウスの御大切」と訳されていたようだが、なんと素敵な語学センスなのだろう。
「御大切」とは、その人の存在そのものを受け入れ、その全てを大切にしてくれるということ。自分にとって役に立つからとか、自分の快楽を満たしてくれるから、とか「見返り」があるのではなく、無条件に大切にするということ。それはボランティア精神も同じこと。
余談だが、イタリアで生まれた福祉団体「Misericordia」は、キリシタン時代の日本にもあり、「慈悲屋」と呼ばれ、キリスト教の精神に基づく病院や孤児•老人施設があったという。それに関してはいずれまた書きたいと思うが、ボランティアを、「慈悲の所作」と呼ぶこの表現に非常に惹かれる。
また、e fare qualcosa per gli altri fai bene alla gente e stai bene anche tu .... 誰かのために何かすることは、人にとって良いことで、またあなたにとっても良いこと...と言っている。
ボランティアは無報酬。任意による仕事ではあるので「してあげた」という表現でも良いのだろうか?けれど、それは真のボランティア精神とは言えないだろう。しかも、好き勝手にして良い訳はない。
「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる」という言葉がルカの福音書にある。ボランティアとは、本来「させていただきます」ということではないのだろうか?普段は自分のこと、仕事のこと、家族のことしか考えずに過ごしている日々の中で、何かを通して、人間は互いに支えあって生きることの喜びを「教えていただく」ことが必要だ。
この曲を通して、少しでも誰かのために立ち上がる若者がいれば、素敵だと思う。