聖母月 〜 初聖体 2017 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

今朝、我がパロッキア(教区教会)では、41人の小学4年生(9歳)が初聖体を受けた。そのうち、1人が洗礼を受けた。

 

児童生徒のカテキズモ(カトリック要理)は4年間行われるが、ここ数年、始まる学年が一年早まり小学校2年生(日本の小学1年生)から始まるようになった。2年目で初聖体、その2年後に堅信の儀を行う。以前長女がカテキズモに通っていた時は、4年間カテキズモを受けて、初めて初聖体と堅信の儀が受けられた。長女の場合は洗礼も含めて行われたが、最近はシステムが変わり、初聖体と同時に洗礼を受ける。

 

イタリアは人種の坩堝。宗教も様々だし、カトリック信者の教会離れもじわじわと進んでいる。たとえ、子供に洗礼を受けさせ、カテキズモも受け、初聖体、堅信を受けさせても、カテキズモが終了してしまえば、残念ながら、はい、さようなら、という家庭も多い。

 

また、家族に誰も信者がいないのに、子供の意思でカテキズモを受けているケースもあるが、保護者が協力し、ミサにあずからない限り、子供が信仰を持ち続けるというのは非常に難しいことだろう。友人にもそういう家庭があり、しかも、両親はまた乳児がいるにもかかわらず離婚する、しないと大騒ぎしており(会うたびご主人の愚痴を聞かされる)教会に足を運ぶことは皆無。あれじゃ厳しいな...と思う。とはいえ、我が家の場合も、長女、長男は徐々に教会から離れてしまっているが。

 

ところで、初聖体、堅信というと、親戚一同が着飾って集合するが、ミサ中に近況報告をしだす人たちも多く、本当に困りもの。かと思えば、ミサ中に出たり入ったり本当に鬱陶しい。初聖体を迎えても堅信まで続かない家庭もあるわけで、私たちは種まきはできても、育てるのは神様のお仕事。彼らのために祈らなければ...と思う。

 

さて、「初聖体」というと、パロッキアによっては、女の子は小さな花嫁みたいな白の衣装で髪の毛に花の髪飾りをつける子が多い中、我が家パロッキアはいたってシンプル。ミサのキリケット(侍者)が着るような白いチュニックで全員レンタルである。個人的にはそれが一番だと思う。

 

 

ミサは、入祭の前からロザリオの祈りから入ったせいか、騒ぐ人もいなく、目立つような態度を示す人もいなかった。「主の祈り」は我がパロッキアでは両隣の人と手をつないで祈りを捧げるが、司祭が初聖体を受ける子供たちにも、通路を挟んだ席同士も手を繋ぐよう促すと、徐々に後ろの列までが皆手をつなぎ始めた。それは、お御堂に小さな波が起きるように広がっていった。こんなことは初めてだ。少し、感動し胸が熱くなった。

 

「皆、これをとって食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしの体。」「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血。これを私の記念として行いなさい」

 

 

「初聖体」は字、そのもの。初めてご聖体を頂く日。親戚一同集まるお祝いの日。これからどれほど素晴らしい人生を生きていくか、神様の愛をしっかり食べ、味わい、今後も神様の愛を食べ続けられる喜びを分かち合う日。

 

初聖体を受けたお子さん方、おめでとう。そしてご家族の方々おめでとうございます。

 

イエスは小さなパンとなり霊的に私たちを養って下さる。栄養として、神の言葉が私たちの心に宿り霊的成長ができますように。

 

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