先日,カトリック宇部教会の片柳神父様が,FBで「今年は,教会で本物のクリスマスを」というキャッチフレーズのチラシを紹介されていた。イタリアの教会だとあまりにも規模が大きすぎるので,内部での小さなグループ同士での集まりでお祝いの会をしても,教会員全体でお祝い...というのは,なかなか人も集まりづらく,集まってもいつも同じメンバーになりやすいのが実状。
それでいながら,数回続けてミサを休むと,どうしちゃったの?と気づいてくれる人もいるから嬉しい。決して,ミサに出ていないのではなく,別の教会に顔を出していたり,前夜,または当日の夕方には出ているが,いつもと同じ時間帯のいつもと同じ席にいないと,コーラスやめちゃったの?なんて言われるから逆に驚いてしまうのだが,それけ私の事に気づいてくれている人もいるのだと思うと,嬉しいものだ。
ところで,毎月一度だけ集まるミラノカトリック日本人会のクリスマスミサとクリスマス会のお知らせ。
12月21日(日)11時より
マリアバンビーナ修道院にて
宇部教会のチラシの言葉を引用すれば,「クリスマスは救い主イエス•キリストの誕生日。教会で本物のクリスマスを体験してみませんか?」
子供の頃,通った教会の事を思い出す。また,大人になって通っていた英会話教室にプロテスタントの教会の牧師さんがクラスメートにいて,クリスマスには毎年通った。どこでも,笑顔で迎えていただき,温かく歓迎された事を思い出す。
クリスマスは本来「喜び」の日。
【喜び】と【楽しみ】では似て非なるもの。本質が違うのだ。
「楽しみ」は自分中心のものであるのに対し,「喜び」は自分の外に輝き,他者とも分かち合えるものではないだろうか?
楽しかったけれど,嬉しかった!という思いがずっと心に残っていた。
生きて行くには,自分の心の中で,パン種のように,じわじわと静かにふくらみ,やがておいしいパンとなる,人々の心とお腹も満たす喜びをもつことが大切。
メリー•クリスマス!
Merryは楽しいという意味があるけれど,ただ楽しいクリスマスではなく,心の体験が物質的なものを乗り越え,私たちの生活を豊かにして行く。
心の飢えを物で満たさせないように。心で感じるクリスマスを。
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11428780749.html
