ちょっと早めのクリスマス | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日、在ミラノ・カトリック日本人会のちょっと早めのクリスマスのミサ及びパーティが行われた。 

なぜ早いかというと、我々会員は、それぞれの地元のパロッキア(教区教会)へ通っているので、月に一度だけ午後に集うことになっている。とはいえ、イタリア人との国際結婚組も多く、そのほとんどが日本人妻であるが、そしてそのほとんどが成人になってから洗礼で、日本での教会に通った経験が少ない人も多く、日本語での典礼は『典礼のしおり』がないとあやうい人も多い。笑 イタリア語とは別に、日本語での祈り、典礼、賛美歌などについていくのは、苦手~というのもざら。ちなみに、よくドウモ裏のカトリック教会ですか?と聞かれるが、別物である。 

今日のミサは11時からだった。 
10時より告解。長女が教会へ行ったのは、今年の元旦のみ。しばらく足が遠のいてしまっている。けれど、この年齢に無理強いはご法度。そうでなくとも、大変な時期なのに、ただただ祈りで支えるしかない。そして、どうも教会も行ったり、行かなかったり・・・・というようになってきた長男。今朝、告解をしておかないと、クリスマスにご聖体をもらえないよ、というと、だって日本語で告解できないから・・・という。何を言う!神父様方はイタリア人なんだから、イタリア語でもいいじゃない!というと、あ~そうだったね・・・といって、神父様を尋ねて行った。戻ってきたときの、安心した顔・・・そうなんだよね、許されたときほど、肩の荷が下りた安堵感というのは、ないだろう。 

入祭。

 
みながろうそくに灯をともして行列となる。お人形のバンビーノ・ジェスーを祭壇に掲げる。 

主にあっていつも喜べ。 
重ねて言う、喜べ。 
主は近づいておられる。(フィリピ4:4-5) 


実際には、待降節第3主日のミサ。 
今日は『喜びの主日』とも呼ばれる。 

私達は何をすればよいのだろうか。 
喜びの秘訣とはなんだろう? 

心を開いて、受け入れ、みとめること。そうすることで人生が照らされるのだと、司式神父がミサの中でおっしゃっていた。まずは、心を開かなければ光は入ってこない。 

告解をした長男は、神様の言葉に心を照らされ、心も体(顔)も安心したことだろう。けれど、人間は弱いから、また同じ過ちを繰り返してしまうのだが・・・・笑  

ミサ終了後、場所を移動し、昼食会。 



嘔吐や高熱がはやる今日この頃。ドタキャンの方も多かったが、なんだかんだ40数名が出席。多い年では60名を超えることもあった。 

手作りによる持ち寄りパーティ。そして恒例のチャリティ・バザー。今回も収益金を福島の子どもたちのイタリア転地保養/サマーステイのために頑張っているオルト・デイ・ソーニさんへ寄付することに決定していたので、代表者にお越しいただき、夏のサマーステイの報告をしていただいた。 

急遽プロジェクター使用が可能となったので、映像を見ながらの発表となったが、誰もが心と耳を傾けているようだった。お金を寄付するだけではなく、その先の人たち、手作業やらバザーにかかわった人たちも、その先の先の人たちが、結局はリンクされており、心が満たされているのだと思うと、逆に感謝感激、ありがたく思うもの。この夏、サマーステイに参加した12名の子供達は、将来何らかの形で日伊間の架け橋になるような存在になりたいといっているという。自然に涙が出てしまい、思わず画像を撮るのを忘れてしまった。 

いずれにしても、私達の力はごくごくわずかなものだけれど、そこにいかに心をこめたか、それが大切なんだと思う。 

そして、子供によるプレセピオ(馬小屋)つくり。

 数年前は、キーボード持込で、皆で歌を歌うこともあったが、今回はなんとリコーダーと共に、クリスマス・ソング斉唱。 


アット・ホームで和やかな雰囲気。 

 

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。 

何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、 
求めているものを神に打ち明けなさい。 
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、 
あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。(フィリピ4.4-7)
 

パオロが語る喜びの秘訣を我々も一人ひとりの中に受け入れよう。 

明日からはノヴェーナの祈りが始まる。主の訪れの時、クリスマスを喜びを持って準備していこう。