英会話ですが、半年ほどで、聞くことが
できるようになりました。


話すほうは2年たったくらいから、進歩が
わかるようになってきました。


夢なんかも英語で見るようになりますし、
英語で考えるようになりました。


大学では、数学、物理、化学など、さほど

英語力を必要としない学科から講義を、

選択していきました。


友人のお父さんからのアドバイスで、専攻
を電子工学に決めたのが2年生の時です。


当時、通っていた大学には工学部があり

ませんでしたので、転校する大学を探しま

した。


アメリカでは、転校はステップアップになる

ので、一般的です。


ただ取得した単位が転校先に認められる

かは不定なので、すこし無駄になることも
あります。


大学の図書館には、全米の大学の案内書

がそろっていて、そこで費用や講義内容な

どを調べ、シアトルにあるワシントン大学に
行くことにしました。


1975年の夏にグレイハウンドバスに乗って、

アメリカ横断旅行を始めました。



1973年の6月中旬から8月中旬まで、英語
の勉強のためコネチカット州ニューヘヴン
にあるエール大学のサマースクールに参加
しました。


歴史ある学校で学生寮や食堂などの建物
が素晴らしく重厚で驚きました。


しかし英語はなかなか上達せず、道端で
乞食のおじさんに「小銭持ってるか?」
と聞かれたのですが、意味が分からず、
何度も聞き返していたら、「もういいから
あっち行け」と言われてしまうほどです。


サマースクールから大学が始まる間は、
ニューヨークのロングアイランドでホーム
ステイをしました。


その年は今年の日本の様に暑かったです。
何度か大西洋で海水浴しました。初めて
水上スキーに挑戦しましたが、立てませ
んでした。


9月の終わりごろまでそこにいて、大学の
ある、ニューブリテンに移動しました。


その途中乗り合いタクシーに同乗していた
おばあさんに、「あなたはニューヨークから
来たのでしょう」 と言われ、すごく嬉しかっ

たことを思い出します。

当時JALの東京ーNY間は、DC-8
で運行されていました。


これで太平洋が超えられるのかと不安
になるほど、小さい機体です。


アンカレッジで、給油するのか2時間ほ
ど止まって、そこで降りる人とそのまま
ニューヨークまで行く人とに分かれるの
です。


その時の空港案内係りの人の英語が、

全くわからず、こりゃ大変なことになった

と思ったものです。


カナディアンロッキーを超えてカナダに
はいると、そこは緑の絨毯に無数の湖

が永遠と続く景色です。


全部で17時間ほどかかり、ケネディー
空港に着く時、ロングアイランドの上を
通過します。


そこには、芝生とヨットと高速道路とたく

さんの車が見えます。


素晴らしい景色ですが、これからどうな
るのかと思うと、楽しんでもいられませ
ん。


到着後、通関前に並んでいると突然

右眼が見えなくなりました。


今でいうところの、エコノミイ症候群だ
と思います。


5分くらいでふっと見えるようになりま
したが、今考えても背筋が寒くなります。